大家さんのお手伝いもあってか、私はエアメールが届いた4日後の今日、早々に引っ越すことになった。 その旨を伝える為に昨日の夜、相手方の家へと電話をかけた。一体どんな人がでるのかとドキドキしていたけれど、電話から聞こえてきた声は落ち着いた、低い声でそれは大人の男性を思わせた。 名前を告げて引っ越すことを伝えると「分かった。気をつけて来いよ」とだけ言われ、電話は終わった。なんだか優しい気遣いにほっとしたけれど、やっぱり不安は今日になってもまだある。 知らない人と暮らすのはやっぱり不安で緊張するし、ちょっと怖い。いくら再婚相手の子供と言えど、すぐその環境に馴染めるか分からないし、唯一親と言える母も外国にいる。 やっぱりいつも以上に私は不安で、怖いと感じているのかもしれない……。弱気になっていても仕方ないのはわかっているけど、どうしようもないのだ。自分ではこの気持ちを吹っ切ることは出来ない。 「ちゃん、そろそろ行きましょうか」 「は、はい!」 そんな事を考えているうちに、出発する時間になった。 もう殆ど片付けてある部屋を一度だけ眺め、そして私は外へと出た。 ◇ 大家さんは相手方の家に挨拶の為に持っていくもの(洗剤らしい)まで選んで買ってきてくれていた。 お金を払おうとしても受け取ってもらえず、私は感謝の気持ちと申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。 「そんなことちゃんが気にすることじゃないのよ。これは私からもあちらの家に挨拶する意味もこめて買ったものだから」 「……本当に、すみません。何から何まで」 「いいのいいの。さ、じゃあ行きましょうか。タクシー呼ぶ?」 「いえ、大丈夫です。私、この住所なら分かりますので。友達の家がこの住所の近くで、行ったことあるんです。だから一人で、バスで行けますから」 え、と驚く大家さん。大家さんはきっと相手方の家まで送ってくれるだろうな、と思っていたからこうやって断わると決めていた。 たとえお世話になった大家さんに、ちょっとした嘘をついてしまったとしても。 「でも……」 「本当に、大丈夫なんですよ。それにこれ以上、お世話になるわけにはいきません。大家さん、本当にありがとうございました」 多大なる感謝の意を込めて、私は深くお辞儀をする。それを見て慌てた大家さんが無理矢理身体を起こしてくるまで、ずっと頭を下げていた。 これだけで感謝の気持ちをあらわせたのかは分からないけど、顔を上げた時に大家さんはちょっと困ったようにだけど、優しく笑って笑っていたから少しは伝わったのだろう。 「また何か困ったことがあったら、すぐに言うのよ」 と言って、私の手に恐らく大家さんの家の電話番号が書かれたメモを握らされ、私も相手方の家の住所と電話番号を写したメモを大家さんに渡した。 手には少しの荷物と、大家さんからもらった洗剤の入った袋を持って、私はアパートを後にした。あとは自分で、書かれてある住所へバスで向かうだけ。 けれどここで早速問題が起こる。大家さんについた嘘――友達がこの住所の近所に住んでいて、行ったことがある――つまり私はどのバスに乗ればいいのかすら分からないのだ。 なのでまずは交番で大体の道のりを聞いて、バス乗り場でも運転手さんに聞いて乗った。そしてバス停から降りた後も、道が分からないので何回も通りかかる人に聞いて歩いた。 それらを経て、どれくらいの時間が経ったんだろう――日が暮れかかった時、やっと目的地である家へと着いた。 「……でも此処って、所謂……高級住宅街、だよね」 私が住んでいたあのアパートの近辺とはまた違った雰囲気の“閑静な住宅街”の中に、その家はあった。 しかもそれは大きな一軒家で、車庫も完備されていて『豪邸』と言ってもおかしくはない。玄関から伸びる小道や花々たち、最早インテリアと化している門も素敵だ。 何かの間違いじゃ、と思い住所を見るとメモに書かれたものと合致した。間違いない、この家だ。 表札には『片倉小十郎 猿飛佐助 伊達政宗 真田幸村』と、名字が全く違う4つの名前が。 「……え、4人!? ていうかこれ、全員……男!?」 聞いてない!!と叫びたくても、この高級住宅街の中であの時のように叫ぶわけにもいかなかった。 ありえない、ありえない、こんなのってあり? 何度もその言葉が頭の中をぐるぐると回る。現実逃避なる言葉さえ過ぎったが、此処に来てしまった以上、どこにも逃げ場はないのだ。 そう決意した私は、インターホンへと手を伸ばした。 ――ピンポーン するとすぐにガチャ、と勢いよく玄関の扉が開き、中から男の人が出てきた。急に出てくるなんて、びっくりするじゃないか……! 「あ、あの……」 「君がちゃん?」 「えっ!? は、はい。そうですけど、」 自分の名前を聞かれ、反射的に答えていた。 「待ってたよ。さ、上がって。疲れたでしょ?」 「は、はい! あ、あの、じゃあ、お邪魔します」 玄関から男の人が出てくると、こちらまで出てきて中へ入るようにと促すように、門を開けてくれた。 おそるおそる敷地へと足を踏み入れると、お兄さんは至極自然な動作のように私の手荷物を持ってくれる。遠慮しようとするも、既に手荷物は奪われていて、今更自分で持つとも言えなさそうだ。 「どうぞ」というように再び促され、厚意に甘えて足を進めた。なんだか紳士だなあ、なんて呑気に思いながら。 玄関へと続く道の横には、綺麗な花がたくさんあってその香りが鼻をくすぐる。とても整えられているのを見て、誰かが欠かさずに世話をしているんだろうなと思う。 小道を過ぎて玄関に着くと、お兄さんはまた扉を開けてくれた。小さくお礼を言うと「どういたしまして」と返ってきた。なんだか笑われているようだったから、私は恥ずかしくてその人の顔を見れなかった。 「……わ、」 外観も凄ければ、やっぱり中も凄かった。玄関に入ると、まず思ったのが天井の高さだ。そして広さ。やっぱり此処は『豪邸』なのだと認識した。 というか、どうしよう私、とんでもなく場違いなんじゃ……? なんて焦って固まっていると、後ろから「どうしたの?」なんて声がした。ていうか、ちょ、お兄さん、近いです……! 後ろを見ると至近距離にお兄さんの顔があって、思わず一歩引いてしまった。あれ、このお兄さん、よく見るとかなりかっこいい、かもしれない。下手したら、雑誌とかのモデルさんとかよりもかっこいい、かもしれない。 「ごめんなさい。なんか高くて、広くて」 「まあ家だけは豪華だけどね。中は色々と凄いよ?男所帯だから」 「おっ、おとこじょたい……!?」 「あれ、聞いてなかった? もー、あの人ってそういう抜けちゃいけないとこが抜けてるんだから。あ、ほら靴脱いで上がって。あとそのスリッパ、ちゃん用だから使ってねー」 「はい……」 やっぱり私、不安だらけだよお母さん。そう思わずにはいられなかったけれど、お兄さんがわざわざスリッパを出してくれたので、急いで靴を脱いで揃え、後をついていった。(スリッパもふかふかで気持ちいい……なんなんだろうこのセレブ感は) 「あとで家の中は案内するからさ、まずはみんなに会ってくれる? 今春休みで下の2人もいるから」 「はい、大丈夫です」 リビングへ続くと思われる扉の前で確認されて、私は特に断る理由もなかったので頷いた。 春休み、ということは“下の2人”は学生なのだろう。 「ちょーっとうるさいけど、我慢してね」 中からは声が聞こえ、それはどれも低い男の人の声だと分かる。ああ、やっぱり此処は―― そうしているとお兄さんは扉を開けた。 「ほら、ちゃん来たんだから静かにして! 幸村、団子はあと!」 扉を開けたそこには、広い空間があり3人の男の人がいた。 テレビを見ていたり、新聞を読んでいたり、何かを食べていたりとそれぞれだったけど、私達が入ってきたことによって一気に注目がこちらに集まった。その視線だけで私は足が竦んでしまいそうになる。 そんな私に気づいたのか、お兄さんが肩に手を乗せてまるで安心させてくれるかのように微笑んだ。 「ちゃん、そんなに怖がらなくていいよ。顔は怖いけど、いい人ばっかだからさ」 「Ah? それは小十郎の事かよ、佐助」 「政宗様……」 「ちょっと政宗、そういうことはいいから! えっとちゃん、あれが政宗ね」 こ、こわい、などと思っている暇もなく。(ちょっとは心の整理をする時間をください!) お兄さんが紹介したのは、眼帯をした人。黒髪が綺麗で、これまた凄くかっこいい人……けれど喋り方に特徴がある、というか英語を使ってるようだ。しかも発音がいいように、思えた。たった一言だけだし、あくまで私の勘にすぎないけど。 「伊達政宗だ。よろしくな? チャン」 「よ、よろしくおねがいします……」 なんかからかわれているようで少しムッとしたけど、怖いから顔には出さなかった。かっこいいけど、お兄さんとはまた違ったタイプのかっこいい人だ。 続いて紹介されたのは、新聞を読んでいた人。 「片倉小十郎だ」 「……あ、電話の人……」 声がどこかで聞いたことある、と思えば昨日の夜に電話で聞いた声だ。 思わず声に出してしまい、慌てて手で口を塞いだらふ、と小さく笑われてしまう。は、恥ずかしすぎる! けど政宗、という人とは違ってなんだか優しい笑い方、のような気がして少しほっとした。 少し強面で、更に頬に傷があって少し怖い印象もあったけど、なんだかいい人かもしれない。電話でも思ったけれど、この人が一番安心できる人かもなんて初対面ながらにしてそう思った。 「で、この団子馬鹿が」 「団子馬鹿とはなんだ佐助!!」 「気にしないで、幸村はいっつもこんなだから」 「デタラメを言うな! そ、某は真田幸村と申す。よろしく頼む、殿!」 お団子をほおばっていた人が食べる手を止め、満面の笑顔で自己紹介をしてきた。口調がなんだか時代劇の人みたいだなあ、なんて思う。 ふと見ると口には餡子がついていて、ちょっとおかしくてつい笑ってしまった。 「?」 「あ、ごめんなさい。……はい、取れました。口についていたので、餡子が」 持っていたティッシュで口を拭くと、ついていた餡子がとれた。 それを言うと恥ずかしかったのか、幸村さん、は顔を真っ赤にして思い切り後退した。この人もかっこいいけれど、なんだか可愛い、かも。 「これじゃあどっちが年上か分かんないね」 「へ?」 「いや、気にしないで。で、俺が猿飛佐助。これからよろしくね、ちゃん」 出迎えてくれたお兄さん――佐助さんは、ニコニコしながら握手を求めてきた。 よろしくお願いします、と小さく呟きながら握手に答えるとがしりとその手を佐助さんのもう一方の手が掴んでぶんぶんと大きく上下に振られた。 「いやー、ずっとむさくるしいと思ってたんだよね! でもちゃんが来てくれてほんとによかった! あ、ちゃんとプライバシーとかは守るから安心してね。ああ、でも政宗とか政宗とかちょっと危険だから気をつけて。部屋には鍵ちゃんとつけといたから!とにかく何かあったらすぐに言って、懲らしめとくからさ」 「おい、なんで俺ばっかなんだよ」 「へー、毎日連れてる女が違う奴がなーに言うんだか」 「なっ!? テメーなんで知ってんだ!」 「まあこんな家だけどさ、仲良くしてね。折角『家族』になったんだしさ」 「は、はい……」 佐助さんのペースにすっかりと乗せられ、私は「はい」としか言えなかった。 なんだかイケメン揃いのこの中で、私は果たして生活していけるのでしょうか……。 不安ばかりが募る日々が、今ここに始まってしまいました。 ← TOP → |