「うるぁぁああぁあああっ! みなぎるぁぁああ!!」 「ふんっ! 甘いわ、幸村ああぁああっ!!」 刃と刃が激しくぶつかり合う音と、このけたたましい雄たけび。鍛錬場では朝から幸村と信玄の稽古が行われていた。 この大声ゆえに、今や城内で寝ているものはいないのではないかとも思わせる。 「……ふぁ、」 「、眠いなら寝てれば?」 「んーん、だいじょぶ。それにこの騒ぎじゃ寝れないもの」 ぶつかり合いを近くで見ていたは欠伸をかみころした。眠たそうに呟いた言葉に、隣に座っている佐助が「それもそうか」と笑って答えた。 彼が隣に座っているのは一緒に見ようとに誘われたということもあるが、万が一の時はすぐに守れるようにということの方が事実だった。 刃と刃のぶつかり合いをこんな間近で見ているのだから、その際に何かが飛んできてもおかしくないのだ。(特にこの二人の場合は) 「佐助は幸村と一緒に稽古しないの?」 「いやー、俺様はあんな大声出す稽古にはついていけないから」 「……まあ、それもそうね」 いくでござる、お館様ぁぁああぁ!! 来い、幸村ぁぁああぁぁ!! 確かに佐助があんな声を張り上げながら戦う姿は、想像出来ない。体力よりも先に喉がやられてしまうに違いない。 は二人の方へと視線を向けるとその光景を楽しそうに眺め、鷹が用意したお茶に口をつけた。 「よぉし幸村、今日はここまでじゃ!」 お茶を啜っていると、信玄が稽古の終了を告げた。 奮っていた軍配斧を置き、幸村も掲げていた二槍を下ろす。 「お館様! 今日は稽古にお付き合いくださり、」 「よい、幸村。わしも中々に時間を作らなんだ。これからも日々の鍛錬を怠るでないぞ」 「はっ! 真田幸村、武田一の兵として日々精進致します!!」 「うむ、その意気じゃ!」 お館様! 幸村ぁ! ぅおやかたさばぁああ!! ゆきむるぁああ!! そして再びお馴染みの掛け合いをし、暫くするとそれも終わり信玄が立ち去ろうとした。 「父上、お疲れ様でした」 「か。あまり鷹や佐助を困らすでないぞ」 「うっ、は、はい……気をつけます」 予期せぬ言葉に意表をつかれ、思わず答える時にたどたどしくなってしまった。 だが信玄はその答えに満足したのか、その大きな手をの頭にのせて撫ぜた。信玄の優しい手に撫ぜられることが、はとても好きなのだ。 頭から手を離すと、今度こそ信玄は鍛錬場から立ち去っていった。 「殿、」 「幸村。お疲れ様」 手ぬぐいで汗をふきながら、今度は幸村がの元へとやってきた。 「今日も凄かったね」 「う、うむ。しかし殿、やはりこのような所に来ては少々危険では」 「大丈夫よ、佐助と一緒だったから。だからそんなに心配しないの。それに普段中々見れない幸村と父上を見ることができて、いいに経験なったよ?」 「そうでござるか……?」 「うん」 佐助が空けた所に腰掛け、に心配していたことを尋ねようとしたがうまくあしらわれてしまう。あしらうと言っても、はただ思ったことを言っただけなのだが。 が本当に嬉しそうに微笑むと、それにつられるようにして幸村も顔を綻ばせる。ここ最近、彼自身といる時間が長くなるにつれて、自分よく笑うようになったと感じるようになっていた。 お互いが一緒にいるだけで笑顔になる、無意識のうちにそうなっているとは本人達はまだ気づいてはいないようだ。 「幸村、お茶飲む?」 「あ、いや、某は――」 が飲んでいたお茶を勧めると、最初は遠慮していたが少しだけ間を置いた後、気を取り直したように言った。 「いや。佐助、茶を頼めるか」 「ちょっと旦那、俺様は女中でも小姓でもないんですけど?」 茶化すようにして言う佐助だが、幸村の顔を見るとそのまま一瞬の沈黙が走った。 その後彼の顔を見て何かを察したのか「じゃあお茶、持ってきますよ」と言い残して去っていった。 鍛錬場の周りには、と幸村以外誰もいなくなった。 「……殿、今日は見せたいものがあるのだ」 「えっ、なあに?」 幸村がふと呟いた言葉に、は興味を惹かれた。 何が出てくるのかという期待の眼差しを隣から受けつつ、幸村はおもむろに懐から何かを取り出した。 その何かを握った手をの前まで持ってくると、そっとその手を開く。そこには真田家の家紋である六文銭が表に縫い付けられた、御守りがあった。 「……これ、触ってもいい?」 「勿論でござる」 そう言われ、はそっと幸村から御守りを受け取った。 持ってみると少しだけ重みが感じられ、よく見ると傷や汚れ、解れも見られる。だいぶ古いもののようだが、真田の家紋である六文銭だけは、変わらずにその形を保っている。 「その御守りは、母上が父上の為に作ったものでござる」 「幸村のお母様が?」 「うむ。父上の戦での無事を祈り、丹精込めて作り上げ、そして父上も常にこの御守りを身につけていたのだ」 「……うん、なんだか分かる。とても思い入れのあるものだって」 いとおしむように、手にある御守りを優しく撫ぜる。まるで幸村の父や母の想いをくみとっているかのように。 それを見て幸村は心がどこかじんわりと温かくなるのを感じた。 「――しかし母上が病で亡くなった後、父上も戦で討たれた。某は父上から遺品として、その御守りを授かったのだ」 「そう……」 幸村の両親については知っていたが、本人の口からこうして教えてもらうのは初めてだった。少しだけ表情が曇ったのを見て、も声が暗くなる。御守りにある傷や解れも幾多の戦場を掻い潜り、それでも大切に手入れされてきた――そんなことも分かるような気がした。 「その中には父上の髪も少しだけ入っているのだ。それゆえ御守りにしては少し重いでござろう?」 「うん。それは思った、ちょっと重みがある御守りだなあって」 この御守りが彼にとってどれだけ大切なものなのか、手にしているにはそれがよく分かった。 そんなにも大切にしているものを見せてくれたことは嬉しい、しかしどうして今? の脳裏にふとした疑問が過ぎる。 「ねえ幸村、どうしてこれを私に見せてくれたの?」 「……決めていたのだ」 「え、」 「某にとってこの御守りは、とても大切なもの。それこそ、真田家の宝と言ってもおかしくないと某は思っているのだ。だからこそ、見せる時はただ一度だと決めていた」 突然真剣な声色になった幸村に、はっと顔を上げると彼の瞳はこちらをじっと見つめていた。少しの緊張に、身体が動かせなくなる。 動けるようになったのは、幸村の手が御守りを持つ自分の手を優しくぎゅっと握ってきた時だった。 信玄とはまた違う、大きな手。その手に包まれている自分の手はとても小さく、そしてあつく感じていた。 「――真に守るべき相手を、心に決めた時、と」 「ゆ、きむら……」 「この御守りは殿に見せたのが初めてでござる。その意味を、殿にも少しだけ分かっていただきたい。某の我が侭ではあるが、よいだろうか……?」 「! う、うん。私、ちゃんと分かるよ、その……意味」 「…殿」 やわらかく、うれしそうに微笑む幸村を見て、今度はの方がつられて笑顔になった。 二人の手に包まれた御守りも、その熱であたたかくなったように、そう感じられた。 「そこで殿。この御守りは殿が持っていてはくれないだろうか?」 「ええっ!? どうして、だってこれ凄い大切なものなのに!」 「大切だから、殿に持っていて欲しいのだ。きっと某がいない間……その御守りが殿を守ってくれるでござる」 『幸村がいない間』 その言葉の意味は分かっている――『戦』。 思わずの眉間にも皺がよる。だが命と命のぶつかり合いであるその戦でこそ、このような御守りが必要なはずだ。 「じゃあ尚更、これは幸村が」 「某が戦から帰ってきた時、その時にまたお返しくだされ。その御守りがない限り、真田の六文銭があろうとも三途の川は渡れぬ」 「やめて! 縁起でもないことを!」 ばっ、と思い切り幸村から手を離す。死を語る幸村が嫌で嫌で仕方ないは、その瞳に涙さえ浮かんでいる。 御守りを握り締める手も、震えているように見えた。 「……殿、これは死の誓いなどではありませぬ。生きて必ず帰って来る、その誓いをたてさせてくだされ」 「……本当に、誓うのね? 絶対によ?」 「某は武田一否、日本一の兵でござる。簡単には死にはせぬ!」 自信たっぷりにそう告げるその姿は、何故かその言葉どおりにどこか頼もしく見えたから不思議だ。 目尻に溜まった涙を拭うと、は負けずと手にした御守りを首から提げた。 「じゃあこれは、私が大切に持ってるからっ!」 「お願い致す」 「……幸村。私もね、見せたいものがあるから」 「? なんでござるか?」 「だから! それを見せるのは、私も決めてる時があるの」 疑問符を浮かべる幸村には内心溜息をつく。 あんなにも大胆な行動をとるのに、そのくせ無自覚だからややこしいのだ。 幼い頃から育んできたこの淡い想いは、いつかこの目の前にいる鈍感男に届く時が果たして来るのだろうか?――は急に不安になった。 「それは、いつ頃になるだろうか?」 「……幸村に御守りを返す時、その時に見せてあげる」 「おお! 真でござるか」 「でも、見せてあげるのと同時に……聞いて欲しいことがあるから。それもちゃんと聞くのよ」 「?」 「分かった!?」 「あ、あい分かったでござる!」 「(もう! この鈍感!)」 「(な、何故殿は怒っているのだ?)」 未だに疑問符を浮かべているのを見て、は彼の鈍さを痛感した。怒りを通り越して呆れを露にし、手元にある茶を勢いよく飲み干した。 少しだけぎこちない、けれどやっぱり優しい時間がそこにはあった。 を守ると決意した幸村、幸村への想いを胸にした。誰もがきっとこのまま少しずつ、時間が進んでいくのだと思っていた。 ――幸村の出陣が告げられたのは、それから三日後のことだった。 ← TOP → |