朝からは庭を眺めていた。昨日佐助と言葉を交わし、自分の気持ちを素直に伝えようと決心した。 だが幸村と話をしようにも、彼は四六時中自主鍛錬や信玄との稽古などを毎日のように行っており、わざわざ鍛錬を邪魔するわけにもいかず時間だけが過ぎて行く始末だった。 一つ溜息をついて、飛び立つ鳥へと視線を向ける。どうしてこうも自分には運が巡ってこないのだろう、と自らの不運さにも嫌気がさしていた。 「あーらら。相当まいってんねえ、あれは……」 そんなのことを影から見ていた佐助は、少しの同情すら芽生えた。 もう春だというのに、まるでの周りは薄暗く去ったはずの冬を思わせる。 「良いではないですか、佐助様。落ち込んでいる時ほど、突然の幸運を喜びませんもの」 「……そう? じゃあ俺達のやる事は、良い方向に転んでくれるかな」 「勿論ですとも。そもそも最初から、お二方はこうなる運命だったのですよ」 佐助と共にの様子を見ていたのは、付き女中の鷹だった。 最後の手助け、と思い佐助が考えた策は至極単純なものであったが、それには自然さを装う為に誰かの協力が必要だった。そこで適任だったのが、鷹である。 事情を一通り説明すると、彼女は二つ返事で了承し現在に至る。 「じゃあ鷹さん、お願いしますよ」 「ええ。佐助様も」 そう言うと佐助はの方へ、鷹は逆の方向へと足を進めた。 ◇ 「(どうしよう、暇すぎて死にそう……)」 「暇すぎて死にそうって顔してるねー」 「わっ! ま、まただ佐助」 「ええ? 何が」 「後ろから急に声かけること」 「だってそれはが気づかないからでしょーが」 「……意地悪」 また更に落ち込んだ様子の。これ以上からかうと、折角考えた策も失敗になるかもしれない。 佐助はまだからかい足りないという気持ちを抑え、明るく話を切り出した。 「俺様、に大事なこと伝えに来たんだよね」 「何?」 「さっき旦那が呼んでた。大事な話があるってさ」 「!! な、なんで」 「さあ〜。ま、これって良い機会なんじゃない?」 まだ幸村に自分の気持ちを伝えていないには、まさに絶好の機会と言えよう。しかし本人はあまり乗り気ではない。 そこで佐助が軽く肩を叩くと、行っておいでという風にを促した。 「自分から動かないと、事は進まないぜ?」 「佐助……」 また佐助に背中を押されたからか、は先とは違い表情に明るさと、そして少しの自信が戻ってきたように見えた。 「……うん。私、行ってくる!」 そうするとは勢いよく立ち上がり、ドタドタと音を立てながら廊下を突き進んでいった。 場所を教えなかったな、と気づく頃には、すでにの足音も聞こえなくなっていた。 方向は合っているので上手くいけば鉢合わせしてくれるだろう、などと楽観的に捉えて佐助は伸びをひとつ。あとは鷹が上手くいけば、策通りである。 ◇ 「うおぉぉぉぉぉっ、みなぎるぅぁあああ!!」 一際大きな声で槍を奮うのは、幸村。場所を誰かに聞かずとも、声を頼りにすればすぐ何処にいるかが分かる。 鷹は廊下からその様子を見、叫んでいる間に声は届かない為キリの良い所で声をかけようとしていた。 「……ふーっ……」 「幸村様!」 「これは鷹殿。いかがした?」 丁度幸村が一息ついたところで名前を呼んだ。それに気づくと、鷹の方へと歩み寄ってくる。 「鍛錬中に失礼致します。先ほど、様が幸村様の事をお呼びになられてましたので、それをお伝えに」 「…殿が?」 「ええ。大切な話がある、とのことでございます」 手ぬぐいで汗を拭きながら、幸村は何かを考えているようだった。 「(一体なんであろうか、大切な話と銘打った外出の要求か? それともまた剣の稽古をつけろとでも言うのだろうか、どれだけ危ないものか殿は分かっておらぬのだ!)」 様々な考えが浮かんできているようだが、このままでは幸村を誘導出来ないと判断した鷹は助言した。 「様は、とても真剣そのものでございました。どうか幸村様もそういった心構えでお話を聞いて頂けないでしょうか?」 「そ、そうでござるか。ならば行くしかあるまいな」 助言がうまく働き納得した幸村に、鷹も一安心した。 「幸村様の自室の前にて待つと仰ってました」 「すなまい、では」 槍を携えて幸村は自室の方へと歩いていった。 なんとか鷹も幸村の誘導に成功し、一息ついた。これで策は終了、あとは時間と二人に任せるのみだった。 ◇ 再び幸村に話をしよう、と意気込んだであったがまだ思うところがあった。 「(どうしよう、私また我が侭言うことになるのかな。気持ち伝えるって言ったものの、やっぱり幸村も父上に仕えている身だからああ言ってるのであって、幸村にも幸村の立場ってものが……)」 すれ違う女中や兵士らから挨拶をされても気づかないくらい、は悩み考えていた。 話すと言えど一体どうやって、もしかすればこれをきっかけに幸村と一緒にいられなくなるかもしれない、最悪の場合は嫌われてしまう…?など負の連鎖が頭の中で絡み合っていった。 うんうんと唸りながらも廊下を曲がろうとした、その時だった。 「ぅわっ」 「おっ……大丈夫でござるか?」 「うっ、ごめんなさいちょっと前見てなく、て……」 曲がり角で誰かとぶつかってしまった。丁度顔が相手の胸辺りにあたり、一瞬息が詰まる。 慌てて離れて謝っている途中に、は誰にぶつかってしまったのかを瞬時に理解した。 「ゆ、ゆきむら」 「殿、前を見ずに歩くなど危ないでござる」 「ご……ごめんなさい」 突然姿を見せた幸村に驚きつつ、何を言ったらいいか分からず一人で混乱していた。 ぶつかった時に乱れたのか、の前髪に触れてなおすと幸村が真剣な面持ちで切り出した。 「殿、某に何か大切な話があると聞いたのだが」 「……え? 何、それ……」 「鷹殿に聞いたのだ。某の自室にて待つと……」 「わ、私だって佐助から、幸村が私に大事な話があるって……」 「…………」 「…………」 双方、暫しの沈黙。 お互いが呼んだ筈であるのに、何故かお互いが呼ばれている。行き着いた答えは同じだった。 「(あの2人……っ!)」 「(佐助と鷹殿の仕業でござるな!)」 理解をした途端に、幸村との間にどこか気まずい空気が流れた。 は勿論だが、幸村も佐助に言われたことが頭を過ぎったのだ。自分はのことを守り仕えるよう言われたが、それが本当の意味ではないという。 それ以外に何の意味があるというのだ、とあまり考えないようにしていたが、心の中でずっとその言葉が残っていたのは事実だった。これはもしかして、そんな自分の不甲斐なさを考慮して佐助が仕向けたことなのかもしれない。 「……殿、少し待っていてはくれぬか。槍を置いて来たいのだ」 「あ、うん、どうぞ」 「部屋の前で待っていてくだされ」 幸村の後に着いていき、言われた通りに縁側へと座り込んだ。少しすると槍と手ぬぐいを置いて幸村が出てきて、今度はが何も言わずともその隣に腰掛けた。 は何も言わずに座ったことに少し驚いたが、特に何も言わなかった。 「……幸村」 「なんでござるか?」 先に口を開いたのはだった。 ここで言うしかない、と幸村を前にして最後の決心がついた時だ。 「あのね、私ずっと前から思っていたことがあるの。聞いてくれる?」 「……無論」 不安げに幸村の顔をうかがったが、真剣なその眼差しに安心しては言葉を繋ぎ始めた。 「私は、昔の幸村と今の幸村が違うと思った。時間が経てば誰でも変わる事は分かってる、実際に私は姫になって幸村も兵になった。でもそういう違いじゃなくて、どこかで幸村が壁を作っているような感じがいつもしてるの。 父上の命で私と一緒にいてくれてるって事は知ってる。でもこんな形で幸村と一緒にいたいわけじゃない」 「……殿が知っておるのなら、そのままの意味でござる。某はお館様に命じられた以上、殿に」 今まで何度となく聞いてきた言葉を、また幸村の口から聞かされると思った途端、は無意識のうちに叫んでいた。 「っ、それが嫌だって言ってるの! 我が侭でもいい、私は幸村のそういう所が嫌なの!」 「殿、落ち着いてくだされ……」 「そうやっていつも誤魔化して!何を言うにも父上の命だとか持ち出してきて、自分が父上に仕えているからそれに従うまでっていつもそればっかり! 私は幸村がどんな兵が聞いてるんじゃない、幸村の気持ちを聞いてるの!」 思い切り叫び、息も絶え絶えとなった。そして急にその声色は悲しみをおびていった。 「……幸村は、思ったことないの? 私とまた、普通に、一緒にいたいって……」 その言葉は語尾が震え、聞いただけで今にも泣き出しそうなことが分かるものだ。 そして実際にの瞳には溢れんばかりの涙が浮かび、少し触れただけでも零れ落ちてしまいそうだった。 「――思ったに、決まっておるだろう!!」 涙が零れ落ちる寸前、突然幸村が大声を出し、驚きのあまりの瞳に溜まった涙は一瞬にしてひっこんでしまった。 「また再び殿と会えると知り、某は本当に嬉しかったのだ! しかしお館様に命じられた以上、それに従うのが某の使命……殿に仕え従うとその日に決めたのだ! また殿と昔のように過ごしたいと、何度も何度も思い願った! 当たり前であろう!」 「ゆきむら……」 「でも某はただ……殿の傍にいるだけで嬉しかったのだ。破天荒な殿と一緒にいると、また昔のように遊んでいると思えたのだ。再び殿とめぐり合わせてくれたお館様には、とても感謝しているでござる。これ以上のことを、某は望めぬ」 「……私も幸村と会えて嬉しかったよ。また遊べると思っていたのに、態度や雰囲気がまるで違ってて……凄く、悲しかった」 幸村と佐助が躑躅ヶ崎館にやってきて、私達は楽しい時間を過ごしていた。けれどある時を境に、幸村の態度が一変した。 「幸村、これから一緒に城下に行かない?」 幸村に声をかけると、彼はいつものようにへと返事をすることはなかった。 へと向くと膝をつき頭を下げた。まるで家臣のように。 「……今日より姫に仕える、真田源二郎幸村でござる」 「――え、急に、何言ってるの……?」 「これからは外に行かれる回数を控えてくだされ。殿は――武田の、姫でござる」 その時ほど『武田の姫』という名が重く感じられた日はなかった。 そして幸村や佐助と別れた日以来の、哀しみに暮れた日でもあったのだった。 「某は、殿を守ることが出来ればそれで良いとばかり思っていた。お館様の言うことに、ただ従うだけであったのだ。 ……しかし違うのだな。その『守り仕える』ということこそが、殿を一番傷つける原因になっていたとは」 「――それは……。私も、ごめんなさい。幸村は何も考えずに父上の命に従っているとばかり思ってた……」 「殿が謝ることはないでござる。佐助に言われた事を、もっとよく考るべきであった。某は殿を姫として守るとしか思わなかったが、それは違う。殿を、守るのだな」 「……幸村……」 何かを吹っ切ったような幸村の顔は、とても清々しかった。そんな幸村を見て、もどこか嬉しくなる。 「これからも殿を守るでござる、お館様の命も関係なく――某が、そうしたいのだ」 「……うん、」 信玄や佐助とは違えど、幸村が自ら導き出したそれこそ、初めて本当の意味と言えよう。 そしてここに、二人が嬉しそうに笑いあうのを隠れながらも見ている者がいた。 「(はー。めでたしめでたし、ってか?)」 長い間見守ってきたその二人の様子に、思わず安堵する佐助。様々な山を乗り越え辿り着いた穏やかな時間が、そこには流れていた。 そんな全ての者達へ祝福を送るように、また風が優しく吹いた。あたたかい、風だった。 ← TOP → |