「織田、徳川に変わった動きは見られぬものの、上杉軍が少しずつ多方面へ侵攻している模様。甲斐へ侵攻してくる様子はまだないですが、注意はした方がいいかと」
「――うむ、ご苦労」

誰もが寝静まった丑三つ時、躑躅ヶ崎館の一室では忍頭である佐助が信玄への報告を行っていた。
中は月明かりと蝋燭の火のみが2人を照らし、、虫のなく声すら聞こえず静まり返っている。

「やはり軍神、上杉謙信。次々と策を練ってくる、儂らも油断しておれんぞ」
「今からでも兵を配置しておきますか?」
「いや、それこそ見つかればすぐに攻め込まれるだろうに。常に忍を見張りにおき、定刻に連絡させるよう手配するのじゃ。何か動きを見せれば即刻知らせ、儂らも出陣よ」
「……了解」

上杉謙信に負けず劣らず、甲斐の虎も先を読み策を練る。何もかもが手の内であるといったようにニッ、と笑う信玄を見て佐助も一つ感心をしたのだった。

「それじゃあ俺はここら辺で」
「待て、佐助」

退室しようとし、立とうとした矢先の言葉だった。
実を言うと佐助は、忍らと交替で行っていた多方面での偵察やその指示、そしてその指示などで疲労困憊であった。
一つの仕事の報告を今しがた完了し、少し休憩しようと退室しようとしたがこれだ。思わず顔にも苦い表情が浮かぶ。

「……なんでしょう」
と幸村の様子は、どうだ?」
「あの2人なら、相も変わらずですよ。この間も、姫さんが抜け出したのを旦那が連れ戻してきて、それから姫さんが――あっ!」
「どうした?」
「大将、姫さんにあの軍配斧持たせたって……本当なんですか?」

先日が幸村と刀の稽古をつけるつけないで揉めた際、の口から父・信玄の武器である「軍配斧」を持ったことがあると出たのだ。
それを聞き、幸村も佐助も驚いたがそれが刀の稽古に繋がることはなかった。変わりに幸村の武器である二槍を、説得に説得され、に持たせたのだった。
自分たちが見ていながら、幸村の用心ぶりは見てもいられぬ程であった。(「殿、先の方は持たぬように!」「わあ凄い、幸村が持つとここから炎が出るの?」「決して触れてはいけませぬぞ!!」)
佐助は思い出し、気になっていたその真偽について信玄に問うた。

「ほう、がな……」
「で、本当なんで?」
「あの斧をが持ったことは真よ。しかし、持ったと言えどがまだ幼き頃、儂が持っていたものに触っただけのこと」
「あ、なーんだ。そういうことか」

本人の口から聞いたということもあり、本当にあの大きさの斧を持ったのか少し疑っていた佐助だが、そういうことなら合点がいく。
少々大袈裟すぎる表現であったが、あの場ではどうしても幸村に稽古をつけてもらいたかったが為に、とっさに引きずり出した過去と嘘なのだろう。

「その様子では、まだ幸村は気にしておるのか?」
「大将の言葉を忠実に守ってますよ。『を守れ、仕えろ』っていう、ね」
「やれやれ、あやつも頭が固いのう」
「真面目なんですよ、旦那は。こればっかりは本人に気づいてもらわないと」

妃芽の気持ちや幸村の思い、それぞれを知りえど伝えることも出来ず少しのもどかしさを感じる信玄と佐助。
見守り続ける、ということも難しいと思う時だった。

「ふむ……まあよい。佐助、2人のことも頼むぞ」
「言われなくても、任せてくださいよ」

困ったものだと思いつつ、少しこの状況を楽しんでいる佐助はそれを隠し切れず、表情には笑みが浮かんでいた。
退室を許され廊下に出ると、静かにその場から姿を消した。



夜中のうちに忍らに全ての指示を済ませ、自分も幸村の警護を終えて佐助は一時の暇を過ごしていた。
また明日からは自らも上杉軍への偵察へと向かう為、身を休めるのが優先ではあったが、いざ自室へと行くといかんせんやる事もなし。一人城内の廊下を歩いているのであった。

「(あ)」

自然と足を進めて辿りついたのは、の部屋の近辺だったようだ。すぐ先には縁側へと腰掛け、足をブラブラと揺らしながら庭を眺めているの姿があった。
まだ佐助には気づいておらず、視線はずっと先の方へと向いている。

「何してんの? 
「うわっ! ……佐助?」
「あー、ごめんごめん。驚かせた? でもってば、ちっとも気づかないから」

声をかけるとはひどく驚き、その様子を見て少しの罪悪感を抱く。だが声をかけたのが佐助だと知ったからか、はすぐに落ち着きを取り戻した。

「天気が良くてあったかいから、少し庭を見てただけだよ」

ポンポン、と自分の隣を叩きながら佐助を見る。
隣に座るように促すと、その意図を読み取った佐助は素直にそれに従った。

「今日は旦那、一緒じゃないんだ?」
「いつも一緒にいるわけじゃないよ」
「そりゃ知ってるけどさ、旦那がいないと静かでしょ」

最近の行動に色々と小言を言うようになった幸村だが、いつもそれを聞いている身としてはこうして静かなのも逆に静か過ぎるように感じられた。
信玄ともよく声を張り上げたり、戦場でもその熱い闘志が声として現れ、常に騒がしい幸村ではあるがの前ではそれが小言に変わるのだ。

「まあ、静かって言えば静かかな……。でも佐助、この前の幸村のおせっかいには程があったと思わない? ちょっと剣の稽古つけてもらうだけなのに」
「あーあれね。旦那ってば、持たせることすら中々許さないもんな」
「真面目すぎる、というか固すぎるというか……あ、でもあの時の方が酷かった。兵士の鍛錬に混ざってた時」
「えっ、ってばそんなことまでしてたの!? 俺様それは初耳だけど?」
「多分佐助が長い間いなかった時よ。仕置きとして部屋から出ることを禁止にされたのよ!」

幸村のケチ!と文句を零すだが、ただ怒っているわけではないようだった。それを話す表情がどこか楽しそうに見えるのは、佐助の気のせいではないだろう。

「……はさ、俺様達がいない間どうしてた?」
「佐助達がいない間?」
「そ。昔、戦でずっと会わなかったでしょ」
「ああ。そうだな、あの時……すっごく寂しくて、別れ際とか私号泣したでしょ? 2人がいなくなってから、それはもう大変だったんだから」

昔のこと。懐かしみながら、思い返しながらは言う。
それに佐助は耳を傾けた。

「次の日も、泣きながらずっと部屋とか探し回って、色々な所へ行って……知らない間に城の外に出ちゃってて、迷子になったこともあったな」
「それは大将たちも、さぞ苦労しただろうね〜」
「だって! それくらい幸村と佐助がいないことが、信じられなかったのよ。小さい頃の、話だけど」

俯いたの顔は、ほんのり赤く染まっていた。(恥じることなど、何もないのに)

「でも、暫くしてやっと立ち直って。今度は私から会いに行こう! って思ってたら……また2人がやってきたの。しかも幸村は父上に心底惚れていたし、ね」
「惚れ……うん、まあそんな感じか」

表現に語弊は見られたものの、それもあながち間違ってはいない。
全てを話し終えたのか、一息をつくと視線を再び庭へと向けた。先ほどまではどこか楽しそうに話していたのが、今はどこか寂しそうに見えた。

「でも急に、なんで?」
「……さ、旦那に対してちょっと冷たいんじゃない?」
「え」

ぱっ、と顔を佐助の方へと向けた。驚きと困惑の入り混じったような、そんな顔を見てやっぱりな、と心の中で呟いた。

「なんていうかさ、冷たいっていうのは言い過ぎかもしれないけど。旦那にだけ意地張ってるっていうの?」
「……そんなこと、ないよ。……多分」
「本当は自分でも分かってんだろ? 全部、さ」

図星だったのか、は眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔になった。
「これはあくまで俺様の予想だけど。旦那の態度が前と変わったことに気づいて……それが嫌だから、とか。そして自分でもどうしたらいいのか分からず、どこか意地を張ってしまう……」
「…………」

予想ではなくこれは確実なものだったが、それを悟られては後々また言われると考え「予想」を付け加えた。
思い当たる節があるのか、言う毎にの肩が小刻みに震えた。

「……大当たり。やっぱり佐助は凄い忍だね、なんでも分かっちゃうんだから」
「(これだけ分かりやすいのも珍しいけどな)」
「小さい時は遊び友達だったのよね、私達。でも今は……私は武田の「姫」になって、幸村は「武将」になった。でもこれは仕方ないこと、人は時間と共に変わっていくから」

生まれた時からは姫だ、とは言わなかった。彼女にとっての「姫」とは、佐助とはまた違った捉え方をしているのだろう。

「父上が幸村に、私に仕えるように言ったことは知ってるの。でもね、私……そういうことで一緒にいたいわけじゃないの。姫と家臣なんていうことじゃなくて」
「また昔のようになりたい、って?」
「そう。でも幸村に言っても……きっと、また“お館様の命令だ”なんて言うんだから」

そう言うとは、口を結び再び俯いた。
また、ということはも幸村に何度か言ったということだ。しかしそれでも幸村の頑なな考えは変えられなかったようだ。
沈黙が続く。どこからか鳥が飛び立ち、鳴き声が遠くへと消えていった。

「あのさ、。そういう大事なことはちゃんと伝えなきゃ駄目でしょ? 旦那ってば鈍いんだからさ」

の頭に、温かい重みがかかる。防具を外した佐助の手が、優しく頭を撫でたのだった。

「……そう、なのかな……」
「そーそー。旦那は鈍感で猪突猛進なワケ、でもそこが悪い所であり良い所でもある。だろ?」

何度か撫でると、最後に髪をくしゃっと少し乱しそっと手を離した。
それと同時にも佐助の方へと顔を上げ、また表情に明るさが戻ってきたことが見て取ることが出来た。

「……そうだよね。私、ちゃんと伝えるよ。幸村、と……一緒にいたいから」

柔らかく笑顔を浮かべるは、差し込む陽の光と一緒になり眩しくそして、あたたかかった。

「そうそう。やっぱりは笑ってた方がいいよ」
「ありがと、佐助。佐助はずっと昔から変わってなくて、嬉しい。本当に、ありがとう」
「え、何。俺様、変わってないの?」

は少し照れくさそうに笑うと、勢いよく立ち上がり佐助の前に立った。

「だって佐助は、昔も私が泣いてた時……さっきみたいに頭を撫でてくれたじゃない」

じゃあね、と言うと逃げるようにしてその場から去った。照れ隠しなのか、他の理由か、あっという間に姿は見えなくなった。

「……はー、全く……姫さんてば、俺の扱い上手いんだから」

残された佐助は、一瞬唖然とするとすぐに笑いがこみ上げてきて、一人その場で笑った。そして一つ息を吐いて落ち着きを取り戻すと、佐助も立ち上がった。

「さて、最後の手助けでもしますかね」

きっとが思いを伝える時こそが、これからの二人に大きく影響するであろうと考えた佐助。
見守り続けてきたからこそ、これからもずっと二人は仲睦まじくあってほしい――それは佐助や信玄、そして幸村とを見てきた城や町の者達が願うであろうこと。
その大切な時を迎えるべく、佐助は足を進めた。



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