半分まで開いている障子の向こうからそよそよと心地の良い風が流れてき、私の頬にかかっていた髪を揺らす。 その風にのってくる陽の香りが鼻を掠めれば、外に降りそそいでいるだろう暖かな日差しが想像につく。こんな日であれば外で洗濯でも買い物でもなんでも気持ちよく出来るだろうなあ。それにこの陽気ならば、きっと誰もが心地よい眠りにつくことに違いない。それも干したばかりのふわふわの布団に飛び込んだ時ならば、なおのこと―― 「……って寝るなアアアアア!!」 スッパーン、と小気味いい音と共に頭に衝撃を受け、私はゆっくりとその重たい頭を上げた。おかしいな、寝ようとしたわけじゃないのにいつの間にか机に突っ伏していたらしい。夢の中に行く寸前だった。 でもこの陽気じゃ仕方ないよなあ、と自分の中で言い訳づけて終わらせてから声のする方に目だけを向ける。 「さっき起こしたばっかなのに、何いきなり寝てんのよ!」 「いやだからこの陽気じゃ仕方ないって……」 「だからもなにもない! このままじゃああんた留年確実なんだからね!」 私の頭を殴ったものだろう冊子を丸めながら怒っている。まさかここに来てまで留年という言葉を聞くとは思わなかった。そしてまたこうして座学を受けるなんて思うわけなかったのだ。 どうしてこうなったのか、ことの始まりは数日前に遡る。怪我が全治してから、私たちは改めてこの忍術学園の学園長なる人に挨拶に行った。対面したのは一見すると普通のおじいちゃんなのに、昔は相当腕の立つ忍者だったというのだから驚きだ。 それはともかく、学園長に「」の記憶が無くなったことの経緯を一通り話してから、今後のことについて学園長の意見を聞くことになった。そして学園長曰く「いつ元の状態に戻るかも分からない。したがって他の者の助けを受けつついつも通りの生活を続けるように」という私からしてみれば手厳しい意見。 でもそれに嫌な顔をしたのは私だけだったようで、同席していたみんなは私を手助けすることを二つ返事で承諾したのだ。それは素直に嬉しかったけど、こんなところに来てまで勉強……しかも忍者の勉強するなんて。「」も忍者になるための勉強うんぬん言ってたような気もするが、いい迷惑であり押しつけられた気分だ。 とにかく私に拒否権が与えられる間もなく、話は終わり解散となったのだった。それからは私の忍者についての知識の無さ(当たり前でしょう忍者の心得なんて現代っ子が持ってたら厨二病か忍者マニアかどっちかだよ)に頭を抱えるをはじめとした六年生たちが、こうして家庭教師の如くマンツーマンで忍者になるべく勉強を教えてもらっているというわけ。 あまりの知識のなさに、下級生の忍たまが主に使う「忍たまの友」という教科書をわざわざ借りてきて今はに教えてもらっているところだ。 元々勉強どころか、授業を受けること自体が苦手な私にとってこれは退屈以外のなにものでもない。そんな眠気と闘いつつまだ完全に開ききらない目を擦りながら、我慢することなく大きなあくびをひとつ漏らす。 そうすれば再び頭に衝撃が走った。 「少しはやる気を装いなさい!」 「だって……眠いんだもんふわあぁ〜あ」 「せめて口を手で隠しなさい! それじゃあくの一どころか女としてもやってけないわよ!」 手に持っていた忍たまの友を私の口にかざしながら、厳しく注意するその姿にどうしても連想してしまうものがあって。それも隠すことなく、浮かんだ姿を形容する言葉が開いた口からそのまま出た。 「なんかってお母さんみたいだね」 「……あんたみたいに手のかかる子どもを持った覚えはない」 また怒るかな、と思いきやそれをも通り越して、それはそれは重い溜め息とともに呟いた言葉に少しだけ申し訳なくなった。 「今はちょっと、眠いだけだからさ。休憩しよう、そうしよう?」 「はただ寝たいだけでしょーが!」 「(バレたか)あ、じゃあほら、みんなのところに行ってみようよ。そうすれば眠気もとぶし教えてもらう人数も増えるし、一石二鳥じゃない?」 の怒りもそろそろ怖くなってきたところで、自分で言うのもアレだけど中々いい逃げ方を提案する。 するとまた叩く気で振り上げようとしていた手を途中で止め、その言葉に耳を傾けてくれた様子がうかがえた。 「……そーね。私一人でこのままじゃ骨が折れるし、お母さんなんて言われるし、あいつらにも責任もって手伝ってもらおうじゃないの!」 「よし! そうとなったらほら、行こう行こう!」 気が変わらないうちに、と机の上にひろげていた冊子と筆や墨などをまとめて素早く立ちあがる。そしての手を引いて外に出ようとすればすかさずお母さんの声が飛ぶ。 「ちょっと待て! が先導すんな! あんたまだ忍たま長屋への行き方知らないでしょ!」 食堂へもまだ一人じゃ行けないくせに、と続いたつっこみには足を止めざるをえなかった。言っていることに間違いはないので、立ち位置を逆にして今度は私がに手を引かれながら廊下を進んで行く。 行けないんじゃないよ、まだ覚えられないだけで。そう弁解をしようにもは聞く耳持たずさっさと歩く、の一言に尽きた。後ろから見ても少し怖かったので、大人しく従うことにした。 忍たまとくのたまは男と女だけあり、暮らしている長屋はもちろん教室も別だった。くのたま長屋に忍び込もうとすればそれはもう大変な罠が作動し、恐ろしい武器を持つくのたま達に囲まれるおまけがつく程に怖い場所――だと忍たまから聞いたけど、実際に見たことはないから定かではない。でもや他のくのたまを見ていると、普段は穏やかだったり普通の女の子にしか思えないから更に現実味が湧かない。でもくのたまの怖さをよく知る忍たまは、そんな気軽に忍び込もうだなんて考えないとも聞いた。 逆にくのたまが忍たま長屋の方に行くのは簡単で、罠も落とし穴など避けやすいものばかりらしい。だから今日もに手を引かれながらだけど、上手く罠を避けながら忍たま6年生の長屋まで来ることができた。 「あ、おーい! それに!」 「七松ちょうどいいところに。他の奴はどこ?」 「さっきい組も授業が終わったようだから、もうすぐ来るんじゃないか? これからみんなで手合わせする約束なんだ!」 塀を下りたところで、ちょうど小平太と居合わせた。一人で準備体操をしているところで、彼の方から私たちに気付き声をかけてくれた。 他のみんなの所在を問い、それの答えを聞いたのとほぼ同じくして話題の中心である奴らがわらわらと長屋の方から現れる。 「よう」 「お邪魔してるよ」 「なんだ二人して、わざわざ長屋まで」 「の勉強が手つかずなのよ。あんた達も手伝いなさい」 「ふん、そういうことか。しかし私たちはこれから手合わせをする予定なのだが?」 「別に立花に頼もうだなんてこれっぽっちも思っちゃいないわよ。とりあえず手合わせ終わるまで適当に待ってるから、さっさと終わらせてよ」 「それが人にものを頼む時の態度か」 たいそう偉そうに勉強を見てくれと頼むと仙蔵を一瞥だけして横を通り過ぎ、縁側に腰かけた。そんなの態度に勉強を見てもらう本人である私の方が居心地悪くなる。 この前からだけど、と仙蔵は特別に仲が悪いように見える。他の忍たまとは普通に話してるのに。 「ごめんごめん、救急箱用意してたら遅くなって……あれ、と。どうしたの?」 険悪な雰囲気が漂い始める中、今まで何処にも姿のなかった伊作がようやく現れた。手に持っている箱をかたかたと鳴らしながら駆け寄ってくる伊作が、今は救世主に見える。 「ねえ伊作、あの二人どうにかなんないの?」 「え、と仙蔵のこと? 見ての通り犬猿の仲みたいなもので……まあ放っておけばいいんだよ」 笑顔でさらっと凄いこと言ったな。 優しそうに見えても、実は一番怖いのは伊作なんじゃないだろうかと改めて思う。外見は現代で言う白衣の天使そのものだっていうのに。 「おーい、手合わせやらないのかー? 俺はもう準備出来てるぞ!」 「……そうだな。この馬鹿に付き合ってる暇なぞ持ち合わせていなかった」 「小平太。こいつの厭味ったらしく尖った鼻をボロクソにへし折ってやんなさいよ」 「? おう、今日は仙蔵にだって負けないぞ!」 空気を読まない小平太の性格が功を奏し、二人の間に漂っていた空気を一旦は壊したものの、結果としてそれは更に悪くなっていった。 もう勝手にやってればいいよ、と私のなけなしの興味も無くなり、伊作の言うとおりに放っておくことにする。 準備運動を始める面々を見ながら、私はから少し距離を置き伊作の隣に腰かけ、その様子を眺めた。降り注ぐ陽気な日差しに目を細めながら、やっぱり昼寝日和だなあと一人心の内で呟いた。 太陽はいつも同じ |