縁側に腰を落ち着けたばかりだと言うのに、やや不機嫌なからお茶を持ってくるようにと命令された伊作。少し気の毒と思いつつ、実は少し喉が渇いていたこともあり私もそれに頼ることにする。
そして伊作が私たちの分のお茶をお盆にのせて持ってきたのと同じくして、目の前で手合わせなるものが始まった。仙蔵と小平太が素手で、でも手足を使い攻防を繰り広げている。残された文次郎、長次、留三郎は縁側の近くで立ちながらその様子を眺めていた。

「二人とも身軽ね」

湯気が立っている湯のみを伊作から受け取り、それと一緒に思ったことをそのまま口にした。

「仙蔵は中距離戦が得意だけど、体術の方も優秀だからね。でも近距離戦が得意な小平太とでは、中々難しいんじゃないかな」

熱いお茶を啜りながら、聞きなれない言葉の混ざる解説を聞き流し二人の動きに目をやる。
でも、とてもじゃないが全部の動きを見ることなんて無理。手足を使い休むことなく繰り出されていくそれは、まるで人間離れしている。
テレビでも数回しか見たことのないボクシングや柔道、それら諸々の“格闘技”なるものと比べてもその差は歴然だ。ルール云々のこともあるだろう、それでも彼らの身軽さ、速さ、どれも抜きんでていると素人目にでも分かった。

「もしかして、伊作もあんなの出来るの?」
「えっ、あ、うん、多分ね!」
「嘘つくな不運め」
「……少しくらいかっこつけてもいいじゃないか」

どもりながらも裏声でそう言った伊作に、すかさずからの鋭い指摘が入る。
その様子を見れば、さすがに嘘を言っているんだと分かったけど。でも明らかに落ち込んでいる伊作に、更に追い打ちをかけるような言葉が第三者からかかった。

にかっこつけてどうするんだ」
「いさっくんは手合わせになると、いっつも一撃目を喰らって終わりだからな!」

いつの間にか手合わせが終わっていた仙蔵と小平太が縁側の前までやってきた。代わりに空いた場所では、先程まで一触即発の雰囲気だった文次郎と留三郎が早速といった様子で既に手合わせを始めている。
仙蔵と小平太の時とはまた違い、激しく音を立てながら攻防を続ける二人からは言葉では形容しがたいなんともいえない凄いオーラが出ているように見える、ような気がした。とにかく真剣に取り組んでいる様子だけは分かった。
そして隣の伊作はと言えば、小平太からのとどめの一言により更なる落ち込みを見せていた。気の毒とは思うけどぶっちゃけうっとおしい。

「まあそんなに気にするな。伊作は治療の面で秀でているんだから、そちらに専念すればいいだろう」
「せ、仙蔵……!」
「だからそんな落ち込んでいないで、私の分の茶も頼むよ」
「あ、俺のも頼む!」
「……」

落とすのが上手いな、と違う面で感心しながら、再びお茶を淹れに部屋に消えていく伊作の背中を見送った。他にも理由はありそうだけど、なるほど、が“不運”と言うだけある。
また一口、さっきより少しぬるくなってしまったお茶を啜ると、ガッという鈍い音がした。そちらに目を向ければ、文次郎が留三郎の顔の辺りを殴っているのが見えた。が、すぐに体制を持ちなおした留三郎は、すかさずやり返さんばかりに文次郎の足元に蹴りを入れ、バランスを崩したところに拳を向ける。それは不発に終わるも、既に文次郎の顔には痣や血が滲んでるように見える。留三郎も今しがた受けた顔の傷が、痛々しくそれを物語っている。
怪我の多さからも、仙蔵と小平太とは違うことが見て取れた。こんなんだからこれがいるんだな、と伊作がいた場所――今は仙蔵が座っている――の後ろに置かれた救急箱をしみじみと見た。

「そういえば、教科がはかどらなくて此処に来たと言っていたな?」
「ああ、うん。こう陽気だとどうしても眠くなっちゃって」
「……そういうところは、変わらないな」
「え?」
「いや、なんでもない。それより、教科がはかどらないと言うのなら、実技を試してみたらどうだ」

少し顔を伏せて何か言ったかと思えば、なんとも大雑把な考えを口にした。確かにこっちでのテストは教科と実技があると聞いたし、実際に動けないのでは話にならないことは分かる。でもだからって、いきなり運動不足が政府からも懸念されていたど真ん中世代の私が、目の前で繰り広げられているような動きをやれなんて言われて出来る訳がない。
そう主張したくても真っ先に口から出たのが「はあ?」なんてもんだから言葉のキャッチボールになんかなりやしない。

「やってみなければ分からないだろう? 別にあいつらのようにやれと言っているわけじゃない。ただ少し身体を動かしてみてはどうだ、と提案しているまでだ」

それでもその一言だけで、何を言いたいか分かったかのように答える仙蔵。しかしすらすらと述べる言葉の中には、決して拒否させないような威圧的なものがあるのを感じる。
気持ちのいい陽気の元、お茶を啜りながら縁側でのんびりしている真っ最中、身体を動かすどころか立ちあがることだって面倒なのに。威圧的な言葉に少しでも抵抗しようと、眉を顰め口を尖らせて提案に対する不満を顔に出した。

「いいんじゃないかな。もしかして身体が覚えてる、なんてこともあるかもしれないし」

そこで空気を読まずに、実技を行えと後押しをするような発言をしてくれたお茶くみ係。なんたってタイミングが悪い!
最後に頼るは、と仙蔵にはさっきから好戦的なの方を期待を込めて見る。なら「あんた馬鹿ァ? がそんなこと出来るわけないじゃん」と一蹴してくれるはず。

「相手してくれるって。よかったねー

あっけからんとして言い放ったにいい加減イラッときた。

「よくねええええ! なんでそうなる!」
「おお、が怒ったぞ」
「感情の起伏が激しいな」

外野の声も手にしていた湯のみも気にせず立ちあがって叫ぶと(それと同時に後ろから「熱い!」なんて声もしたけど勿論気にしない)の許へと歩み寄った。

「教科が駄目なら実技で補うしかないでしょ。こいつらには実技の方も見てもらいなさいよ。――ていうかこうしてれば休めるし」
「最後に本音が出ただろ聞こえてるんだからね!」
「あーもーうるさいな。いずれはやるんだから今のうちに済ませておきなよ。あ、ほら、中在家が空いてるって」

さも面倒くさそうにが指さした方には、言うとおりに長次がいて。そういえば手合わせをする時には一人余っていたなと思いだした。

「ねえ長次、に教えてあげるんでしょ?」
「…………ああ」
「ほら、行ってこい」
「……」

仙蔵や伊作、に勧められるのは癪だったけど、長次にこう返事されては断るわけにはいかない。なんとなくそう思った。
本当に渋々ながらだけど、長次から実技の指導をしてもらうことにする。
まだ手合わせ――というか、最早喧嘩している文次郎と留三郎からは距離を取り、縁側からすぐ近くの場所に立った。

「……で、一体何からすればいいの?」
「…………身体で、覚える」
「えっと、長次……私、一応こういうのは初めてっていうか……もっとお手本みたいなのはない?」
「……見本や型は必要ない」
「え。いらないの?」

こくり、と頷くと長次は続けて小さく口を開く。

「実戦では、形に囚われてしまえばそれに意識が向いてしまい、隙が生まれてしまう。だから、いかに綺麗に避けて攻撃するのではなく、いかに敵に素早く的確な攻撃をし、防御をするかが大事」

口数が少ないと思っていた長次がつらつらと述べていることにも驚いたけど、改めて現代との差を感じた。
実戦、隙、敵、攻撃。現実味の湧かない言葉の羅列は、より一層私の“忍者”というものの認識が遠ざかって行くようだ。一体どうして、人を攻撃する訓練をしなくてはいけないんだろう。ぼんやりと思った。

「自分に一番合った方法を見つけるのが大事だぞ」
「小平太の言うとおりだ。武器を使うのもありだが、は素手の方が得意だったからな。まずは素手でやってみるといい」

すぐそばから聞こえてきた声に耳だけを向けながら、目の前に立つ長次を見据えた。

『さあ、どっからでもかかってらっしゃい!』

遠くで、誰か女の声が聞こえた。そう、多分、あの夢の中で会った女――「」の声だと身体が告げた。
瞬間、突然目の前に拳が迫ってきたのが見え、私は何も考えず身体を沈めた。でも、ただ沈めるだけに終わらず、そのまま長次に足払いをしようと右足を繰り出す。
ただそれに気付かない相手ではなく、今度は長次から身体が沈んでいるところを好機にと顔めがけて足が飛んできた。容赦ないな! と舌打ちをする間もなく横に飛んでそれを避ける。避けたと言ってもギリギリだったようで、じわじわと頬に痛みが熱と共に増していく。
そしてお互いに間合いが出来たところで、ここぞとばかりに私は長次の顔を目がけて足を。長次は拳を、それぞれ相手の顔目がけて振り上げた。
ひゅん、と二つの音が重なったと思えば、それは時同じくして止まった。私の左足が長次の右頬に、長次の左手が私の右頬に来たところでお互いの動きは静止したのだ。
あと数センチ、数ミリ動かしていれば確実に相手に傷を負わせていただろうという距離。その直前で止めたということは、これが実戦ではなくただの手合わせであり、怪我を負わせることが目的ではないと知っているから。まあ、一部例外の人達はいるみたいだけど。

「凄いな!!」

小平太の声が辺りに響き、私と長次はそれを区切りとしてお互いの手足を戻した。
すると「すまない」と小さく謝罪の言葉が聞こえ、何かと思えば頬を指差されて気付く。これは私が避け切れなかったからできたものだから気にすることなんてないのに。
そんな律儀な長次に気にしないでということと、手合わせをしてくれたことにお礼を言う。

「なんだなんだ、今の動きは! 前と全く変わってない、いや寧ろ速くなったんじゃないか? はやっぱり実技が得意なんだな」

いつの間にか隣には縁側に座っていたはずの小平太がいて、興奮した様子でやたら声をかけてくる。
それに、なんなんだと言われてもそれについて一番戸惑っているのは自分自身だ。
最初の長次からの攻撃には反応出来るわけないから、それを喰らうだろうと思ってた。怖さに震え、痛みから身体を守るために反射的に身を縮めるものだとも。でも実際には攻撃を受け流し、自分からも蹴りの攻撃を仕掛けていた。
私がそうしようと思ったんじゃない、本当に“身体が勝手に動いていた”としか言いようがない。これはやっぱり「」の身体で、それに蓄積された経験がものを言ったのだと断定してもいいだろう。そう考えれば、「」の声が聞こえたのにも道理にかなっているというもの。

「やはり身体が覚えていたか。ほら、私の言った通りだろう?」
「立花はいちいち厭味ったらしいのよ。たまたまよ、たまたま」
「……」
「……」

折角落ち着いたものと思ってたのに、縁側の方では今度はと仙蔵が一触即発の雰囲気だ。放っておけばいい、と伊作が言っていたのをならい私はなるべくそちらに近づかないように遠回りで縁側に戻ろうとした。

、今の見てたぞ。中々いい動きをしていたじゃないか。どうだ、俺と手合わせしてみないか」
「てめえ何言ってやがる。こんなギンギン野郎は無視して俺とやろうぜ」
「んだと?」
「ああん?」

するといつの間にか喧嘩を終えた文次郎と留三郎が、傷だらけの泥だらけで声をかけてきた。もう疲れたからやだ、と両者とも断ろうとしたのにまた目の前で火花を散らし始める二人。

「ちょっと! そこの二人はまず怪我の手当てが先!」
「あ、おい伊作、俺はまだこいつと」
「どっちがと手合わせするかってのをだな」
「じゃあ、私と手合わせしよう!!」
「……もう一度」
「ああもう、も頬に怪我してるじゃないか! も先に手当てだからね!」

目の前からも、縁側の方からも、色々なところから声がかかり私はもうどう返事をしていいか分からない。とりあえず、疲れたんだ休ませてくれ。それだけの言葉を言える、静かな空間が欲しかった。



喧騒、騒動、安寧


(非日常なはずな毎日は、こうして日常に変わっていった)