学園に着いたのは陽もすっかりと昇りきり、周囲に朝もやがうっすらと残るだけの卯の刻を過ぎたころだった。

「私はこのことを学園長先生に伝える。お前たちはを医務室に」
「はい」

足早に学園の門をくぐれば、素早く先生からの指示がとぶ。学園長にまで知らせるまでの事態かと疑問が過るが、気にする場合も間もなく先生は庵の方へと消えて行った。
俺たちはの治療のために反対側にある保健室の方へと足を向ける。保健室には伊作とが待機している。

「伊作には知らせたのか?」
「矢羽音を飛ばした。すぐに治療出来る体制になっているとのことだ」
「分かった」

俺の投げかけに先頭を行く文次郎が答え、それに短く返事した。大股に歩く奴の背を見て、こいつも俺と同じくらい否それ以上にこの状況に焦燥しているのかもしれないと思った。
そんな考えもふと過ったところで、すぐに保健室の前までたどり着く。此処に着くまで長かった、などと息つくことなく文次郎が障子を開けてそれに続き中に入ろうとする。そうすれば開けてすぐの場にいた伊作がこちらを見て! と声を上げながら駆け寄ってきた。
よかった、よかったと呟く伊作からは相当な心配をしていたろうことがよく分かった。捜索隊に加われず、それに異論しなかった伊作もまた、心の奥底では悔しさと心配でいっぱいいっぱいだったに違いない。

「とにかく中に、まずはそれから」
!!」

伊作が促して中に入ろうとしたところ、それを邪魔するかのように突然にが目の前に飛び込んできて、思い切りに抱きついた。
勢いよく飛びついてきたものだから思わず身体が後ろによろけた。なんとか体制を整え、に注意をかけようとした途端またもその声によって妨害される。

っ、もう心配したんだから! 足怪我したんだって? 大丈夫?」

抱きつきながらしきりにの身体を確認している姿は、まるで過保護な母親のようだと思った。間違いなく今回のことで一番にを心配していたのはだから、こうなるのも無理はない。が、

「待て。今はの治療が先決だ、話は後にしろ」
「っ、立花……あんた、私の邪魔するわけ」

の身体を手で押さえながら、鋭い声で仙蔵が言った。治療が先決だという言葉には同感だ。
保健室での待機を命じられた上に再会を十分に喜べなかったことへの恨みか、全ての苛立ちをぶつけるように睨みを利かせた瞳を仙蔵に向けて言う。それは仙蔵にも負けぬ程の低く、鋭い声だ。

、仙蔵の言うとおりだよ。このまま話すのもの身体に障るから」
「……分かった」

しかし低い声の響く二人の中に入っていったのは、数刻前と同じくして伊作の宥める声だった。そしてそれの言う言葉に納得したのかそれともようやく耳に他人の言葉が届いたからか、の首に回していた手をゆっくりと離した。最後に仙蔵に視線を向けたのは、恐らく俺にしか見えなかったんじゃないだろうか。
が離れて道を開けたのを見て、伊作に続き中へと入りゆっくりとを下ろす。手当てをするから部屋を出ろという伊作の指示のもと出ようとするも、また少しが不満を零す。でも今度は睨まれる間も与えぬと言わんばかりに、文次郎がの服を掴み外に連れ出した。引きずり出されたのを見て、最後に部屋を後にする長次が障子を閉める。暫くは此処で待機だ。
早朝ということもあるだろうが、廊下の辺りはしんと静まり返っている。いつもなら朝っぱらから鍛錬する奴らの声や他の物音がしてもおかしくないのに、今日は不思議とそれらが全く聞こえない。主な騒音の原因が此処にいるからかもしれないが。

「――、落ち着け」

その空気を破ったのは、同じくらいに静かな長次の声だった。それは今まさに保健室の前に座り込み、その戸一点のみを鋭い眼光とともに睨みつけているに向けられているものだった。
射竦められるような眼と纏う雰囲気からは、とてもじゃないが普通な状態ではないことが分かる。声すらかけることを躊躇されたが、このままでは俺たちの方が気になって仕方ないと長次も思ったからの声だろう。

「そんなに戸を見つめてても何も解決しないだろう。のことは伊作に任せておけ」
「目に力入れてると、文次郎みたくなるぞー?」
「んなわけあるか」
「これほどまでに落ち着いているのは私から見ても初めてよ。それくらい動揺してんだよ察しろ」

場の雰囲気を少しでも軽くしようと試みたのか、それぞれが言葉を口にするものそれで一瞬にして場は凍りつく。
最後の口調が荒荒しくなっているのを聞くとよっぽどの動揺をうかがわせる。
しかしそれにも関わらず、隣にいた長次が前に出ての方へと寄って行く。よせ、と言わんばかりに誰とも分からぬ手が長次を引きとめようとするも届かず。

「おい長次、」

「……お前がどうにか出来る問題じゃ、ない」

静止の声も聞かず、長次はの肩に触れてその顔をじっと見ながら言った。普段なら聞きとり辛い長次の声は、今はやけに大きく響いている。

「……元気になったに、そんな顔見せるのは……かえって心配、させる」
「長次……」

宥めるように呟いた言葉は、だけでなく俺たちをも落ち着かせるようだった。
先程まで張り詰めていた空気は一気に和らぎ、朝特有の冷たい空気に身を震わせる余裕さえ出来た。

「みんな、入っていいよ」
「!」

ようやく落ち着いたと思いきや、障子の向こうから伊作の声がした。そうすればは長次から離れ、真っ先に戸に手を掛け勢いよく開ける。
そのまま中に入っていくのに着いていけば、あっという間には手当てを終えたの隣に座っていた。また勢いに任せて抱きつくんじゃないかという不安もあったがそんな心配なかったらしい。

「伊作、怪我の具合はどうなんだ?」
「うん。骨に異常はないし、ほとんど軽い傷だったから少し安静にしてればすぐ治るよ」
「……そうか」

薬品などを片付けている伊作に聞けば、返ってきた答えが良いもので安心する。
の方に目をやればや小平太らと話しているのが見え、頬が緩むのを感じた。元気な姿を見てようやく、俺を含めたこの場にいる全員が胸を撫で下ろせたに違いない。
しかし安心しすぎたせいか、やや周囲の奴らの声が騒がしくなりつつある。病み上がりなに喧騒はまだ当てるべきではない。伊作とお互いに顔を見合わせれば、やれやれという風な仕草を見せてから騒がしい方へ向いた。

「もう、みんなして……。あ、。何か欲しいものある?」
「え」
「なんか食いたいもんあれば言えよ。取ってきてやっから」

元気を取り戻した奴らの会話についていけず戸惑っていたのを見て、伊作が助け舟を出した。俺もそれに乗りに聞いた。
少し間を置いてから、改めてこちらに向き直るを見て俺たちも視線をそれに合わせる。

「……ひとつだけ、聞いておきたいんですけど」
「うん、なに?」

欲しいものを言うかと思えば、やけに丁寧な口調で聞いてきた。伊作が穏やかに聞き促せば、は口をゆっくりと開き続いて言った。

「あなたたち、誰?」

喧騒の中だというのに、ひときわ響いたと感じたその言葉に誰も反応出来ずにいた。どう勘違いしたのか、は俺たちに追い打ちを掛けるかのように、もう一度ゆっくりと言った。

「あなたたちは、誰なんですか?」

俺と伊作を真っ直ぐに見るの目は、信じられるわけがないと逃げたくなった自分を咎めているように見えてならなかった。



欲しいものなどありません



(逸らせばそれは逃げたことにも、信じたことにもなるだろう)