「人生、楽しんでなんぼよ」
現在、世界豪遊の旅に出かけているおばあちゃんの口癖だ。その言葉の通りに、おじいちゃんが死んでから一層活動的になったおばあちゃん。
その姿を小さい頃から見てきた私は、いつの間にか彼女の口癖を真似る――どころか、正確まで間逆かつ些か捻くれた人間になってしまった。
「人生、とりあえずなんとかなる」
それが私、の口癖だ。


次の授業の教科書とノートだけを取り出して、私は自分の欲求に忠実になり机に突っ伏した。とにかく眠いんだ。

「ちょっと、早速授業放棄ですかー?」
「……んー。おやすみ」
「おやすみ、じゃねっつの」

パコン、と丸めた教科書で叩かれていい音がした。どうやら寝てはいけないらしい。
それでも身体を起こすことのない私を見かねてか、友人は最後の手段とばかりに気を引くような言葉を出してきた。

「ノートだって見せないんだかんね」
「……ん」
「あのね、私今度は本気だから! テスト前に頼んできたって教えてやんないんだから!」
「…………ん」

それは本気かと思わせるような勢いだったけれど、「それは困る」と言おうとした口が「ん」としか言わない時点でもう駄目だと思った。
教室内に広がるざわめき、入ってきた先生のそれらをたしなめる声、始業の鐘の音。ついでに友だちの怒鳴り声。
既に身体が眠ることにむかい、それらの雑音が全て子守唄に聞こえてきてしまう。隣の友人がやたら口うるさく“起きろ馬鹿”と言ってくるのもかろうじて聞こえるけど、面倒見の良い彼女のことだ。どうせ私が赤点取らない程度にまたノートを見せてくれるんだろう、なんて思いながらその言葉を聞かぬ振りして目蓋を閉じた。
最後にうっすらと聞こえた起立、という委員長の号令を全力で無視して私は夢の世界に旅立った。

本当に、夢の世界に行けたらよかったのに。



『やあ、こんにちは』

やけにリアルな女が現れたことで、これは夢だと認識した。夢は夢でも、いつも見るようなものよりはるかに質の悪いものだと私の第六感が告げる。

「…………こんにちは」
『なあにーその反応! いかにも胡散臭え、って顔してるわね』
「……事実ではないかと」
『そこ正直に言っちゃう? まあいいけど』

かろうじて反応を示せば、その倍以上の高いテンションで話しかけてくるこの女。全身に桃色を纏う彼女は服装からして怪しい。
こんな夢見るくらいなら寝るんじゃなかった、と思いながら女の言うことに耳を貸す。

『ねえ、今こんな女に会うくらいなら寝るんじゃなかったとか思ってない? 自業自得だからねそれ』

なんで分かるんだろう。もうその理由を聞こうとするのも面倒くさかった。とにかく早く起きてしまいたいというのが本心だ。

『相変わらずのやる気の無さは置いておくとして……。突然ですが、これから貴女には忍者の卵として生活してもらいまーす!』
「…………はあ」
『え、ええ……。そっそこはさ、もっとええー!? とか、なにそれ!? とか、もっと驚くべきところじゃない?』

私の反応が想像していたものからかけ離れていたのか、女はかなり慌てながらそう説明した。だって突然そんなこと言われてもまず信じるわけないし、女の存在すら認めてない私に言うことなのかということを思ったし。
まあでも流石に無頓着すぎたか、と自分でも反省して彼女の挙げた例に則り言ってみた。

「ええーなにそれ」
『……そのまんま言われてもなんも驚ろかした感がしないわ』

人が折角例の通りに言っても、驚いた振りをしても女の気には召さなかったらしい。もういいや、どうでもいいから早く胡散臭い話を終わらせてください。

『とにかくね、貴女には私になってもらって、ある場所で忍者になるための修行をしてもらうわ』
「……なぜ私が、そのようなことを」

信じきったわけではないけど、そう問いかけて話を早く終わらせられるように促した。

『私が……忍者になるために必要なこと、だからかな』

すると先程とは一変し、女は俯きながら静かにそう言った。まるで自分に言い聞かせているようにも取れたその声は、なぜかじんわりと私の中にも染みわたるように広がった。

『――まあ行ってみれば分かるわ! 大丈夫、きっとみんなが貴女のことを助けてくれる』
「はあ……」

顔を上げれば元通りの調子になり、女はそう続けた。未だに理解しがたいことばかりを言う話に、私はすでについていけていない。にも関わらず、生返事をしたことが後の私の運命を大きく左右したんじゃないだろうか。

『じゃあ、行ってらっしゃい! 楽しんできてね!』

その言葉を最後に目の前にいたはずの女は消え去り、代わりに黒い何かに覆われた。
一体何が起きていることか、こんな夢を見るくらいなら友人の言葉を少しでも聞いておくんだった。なんて後から悔んでもすでに遅いのだけど。
ぐるぐると頭が回る中で、最後に女が言った言葉も一緒に回っていた。それはあのパワフルなおばあちゃんの口癖と似ていて、彼女の姿を彷彿とさせたからだろうと思う。

「…………は」

元気に動き回るおばあちゃんの姿が脳裏を過ったところで、視界が一気に開けた。回っていたために残る少しの眩暈に耐えながら、私は目前の景色に少なからず驚いた。
生い茂る木、木、木。明らかに教室でも学校でも、ましてや自分の知る場所ではないかもしれない。そんな環境に急に置かれながらも、思うことは結局はいつもと変わらぬことなのだ。

「……まあ、なんとかなる」



人生の格言



(なんとかなる。人生って案外結構、そういう風に出来てたりするものなんです。)