私のお父さんは、私が小さい時に病気で亡くなったらしい。
小さかったからか、私はお父さんの顔を覚えていないし、亡くなったことが悲しいともあまり思わない。 それに私にはお母さんがいるから、ちっとも寂しくなんかない。だからお母さんが私のために頑張って働いている、と思うと夜に一人きりでも、一緒にご飯を食べられなくても、全然寂しくなんかなかった。
もうずっとそういう生活を送ってきたから、14歳になった今ではそれが“当たり前”になってしまったんだ。きっとこのまま、ずっと同じことの繰り返しなんだな、そう思っていた。
お母さんからの、あのエアメールが届くまでは。


学校は春休みに突入し、私はいつもよりもゆっくりと家事をしていた。
いつもこの時間に寝ているはずのお母さんもいないから、思い切り掃除機もかけることが出来る。なんだかそれが嬉しくて、ついつい上機嫌になる。 ちなみにそのお母さんはというと、なんでもお店で会ったお客さんだという人と一緒に海外旅行へと先週行ったばかりだ。

ちゃん聞いてっ! ママね、お店ですーっごくかっこいい人に会ってね、その人の虜にされちゃったの! あ、顔がいいのはもちろんなんだけどね、とっても優しいしとーってもお金持ちなのよ! なんでも海外でもお仕事してたらしくてね、それで私達、暫く海外旅行に行くことにしました〜ふふふ、ママ海外初めてだからとっても楽しみ!  ちゃんとお土産買ってくるから、ちゃんも楽しみにしててねっ。それじゃあ、いってきま〜す」

あまりにも突然のことだったが、普段からそんな感じの母だったので、私は「いってらっしゃい、気をつけてね。ああお母さんちゃんとパスポート持った!?」と言って見送ったのだった。
なんにせよ、母のいない我が家はなんとも静かなものである。(家事もしやすく、とても快適!)

「……あっ、今日燃えるゴミの日だ!」

最後の洗濯物を干した後、ふと思い出したのは燃えるゴミの日。 慌ててゴミ袋を手にして私はアパートの階段を駆け下りた。幸い収集車はまだ来ていないようで、いつものようにゴミを置いて緑色のネットをその上にかぶせた。

「ついでに郵便も見ておこうかな」

くるのは請求書やチラシだけの郵便受けだが、あまりに溜めていても仕方ない。そう思い郵便受けを開けると、そこにはいつものように数枚のチラシと、1通のエアメールが入っていた。
差出人の名前を見ると“夢子”と書かれていた。
……まあ、エアメールが届くなんて、今海外旅行中のお母さんからしか心当たりがないんだけど。
適当にチラシを一通り見たあと、その場でエアメールの封を切る。中身を見ればお母さんの字と、乱舞する赤いハートの数々。目がチカチカするのを我慢しながら私は手紙を読み始めた。

DEAR ちゃん
元気でしたか? ママはとーっても元気です。むしろお料理を食べ過ぎて、ちょっと太っちゃったかも……
食べる料理はどれも美味しくて、ママ感激しちゃった! あ、でもママはちゃんのお料理が一番好きよ〜
こうしてお手紙を送ったのは、ちゃんに大事なお知らせがあったからです。
実はね、ママは今一緒に旅行をしている人と――再婚することにしました! きゃ〜!!
ちゃんは覚えてないかもしれないけど、前のパパと今のパパは優しい雰囲気がとっても似てるの!今のパパにもたっくさんいいところはあるんだけどね。
そこで私達はこっちで式を挙げて、そのまま新婚旅行で世界一周旅行をすることに決めちゃいました☆
だからちゃんとはもう暫く会えません……ごめんね、式にも呼んであげたいけど学校があるもんね……。ちっちゃいチャペルで結婚式するのよ! あ、ちゃんと写真も送るからね。


ここまで読んで、私はほとほと母の突発的で適当な性格に(ある意味)感心してしまった。
娘の意見も聞かずに再婚とは……しかもお店で会った人なんて、大丈夫だろうか? あんなにぽやぽやしている母だから、結婚詐欺だったりしたらどうしようかと心配で仕方ない。 しかも海外だから法律も違うし、もしかしたら身の危険も――なんて不安も頭を過ぎったが「パパと雰囲気が似ている」という部分を読んで胸を撫で下ろした。
記憶にないお父さんを信じるのもあれだけど、なんとなく安心の出来る響きだった。少なくとも、私にとっては。
きっと何を言っても聞く耳も持たないだろうし、本人達を信じるしかないのだろう。今は心の中で小さく「おめでとう」と呟いた。
ここで一枚目が終り、どうやら続いている二枚目へと目を通し始める。

きっと世界一周だから、とってもとっても時間がかかります。その間ずっとちゃんを一人きりにさせるのは、ママとっても不安です。 今までも一人きりにさせてきちゃったけど、さすがに時間が違うよね。いくらもう中学3年生でも、やっぱりママは心配です。 旅行も1泊だけにしようかともパパに話してみたんだけどね、そこでパパから素晴らしい提案があったのでママの心配は解消されました!
新しいパパには日本に住む子どもがいるんだって! なんでも遠い親戚の子を面倒見てるっていうんだけどね。 その子はもうとっくに成人していて、他にも何人か一緒に生活している子がいるんだって。皆ちゃんより年上だから、ママは安心しました。
――と、いうことで。ちゃんは春からその子達と一緒に暮らしてもらいます!


…………え?

詳しい住所とか電話番号はもう一枚のメモ用紙に書いておきました。あ、お金の心配はしないでね!その子達の口座にちゃんと振り込みます。
アパートも引き払っていいからね、ママはパパと日本に新居を買う予定です! 楽しみにしててね〜!
そっちに残っているママの荷物とか家具も、必要なければ処分しちゃってね。よろしくね。
絶対に春休みが終わるまでに引越しを完了しておくこと!
じゃあその子達と仲良くね、また手紙送ります。たまにはちゃんも手紙書いてくれると嬉しいな〜。それじゃあ、またお手紙書きます。ばいば〜い!

ちゃんのことがだーいすきな、ママより


残りの部分は殆ど読むことはなく、それよりも私は手紙にある一文にしか目がいかなかった。
『その子達と一緒に暮らしてもらいます』

「え、ちょっと、待って、それって……」

力の抜けた両腕がダランと下がると、持っていた封筒からメモ用紙がひらりと足元に落ちてきた。
そこには住所と地図らしきもの、そして電話番号が書かれていた――

「う、うそでしょおおおお!?」

私の大声は、昼前の住宅街に虚しく響き渡ったのだった。

 14歳、もうすぐ中学3年生。
なんだか新しい家族が出来たみたいです。



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