信玄が策を立て、武田軍は少しずつ場を優勢へと傾けることに成功していた。 幸村が一番槍を務め北条方の兵らを突破し、一番の難点とも思われた風魔も何故だか姿を現さず、佐助も忍らを従えて幸村とともに応戦した。その結果、北条の勢力をみるみるうちに削ぎ取ることが出来たのだ。 あまりに上手くいくことに疑問を持った佐助は、風魔の行方を追い北条へと視察へと向かうと、風魔はどうも総大将の北条氏政の傍につきっきりであるということが分かった。 戦況を読んで氏政自身が身の危険を感じた為か、それとも他に策でもあるというのか、何はともあれ少しでも北条の勢いを抑えられたことに変わりはない。 「このままいけばすぐにでも決着がつこうぞ。だが佐助、風魔にはくれぐれも注意するのだぞ」 「分かってますって。風魔の下にもやっかいな術を使う忍がいるって話です、他の忍にも注意するように言っておきました」 辺りが夜闇に包まれ、蝋燭の火ひとつが本陣を照らす中、信玄と佐助はいた。 静かに報告を済ませると、信玄は欠かさずに風魔への注意を呼びかける。兵の数を落とした北条に残るのは、風魔と他の忍のみだ。 「うむ、その点はよいな。あとは油断せず、奇襲にも備えるべきか」 「今や北条が何してくるか、分かったもんじゃないですからね。奇襲を仕掛けてくる可能性は十分にあるかと」 「今一度気を引き締めるように伝えるかの」 信玄が一声かけると、すぐに本陣内に一人の兵が入ってきた。頭を下げ、信玄からそれらの旨を聞くと、短く返事をすると外へと下がる。恐らくすぐにでも伝わり、一層に緊張感が持たれることだろう。 「これでよい。……して佐助、幸村はどうした?」 「あー。旦那は裏の村の方にいますよ」 「……このような時に何故?」 戦の際幸村は常に槍を手にし、信玄と共に本陣にいるか、いつでも出陣出来るようにと見張りを行うこともあった。 しかしその幸村が、見張りにもあたらず本陣にもおらず、民が避難した後の村にいるという。これには信玄も目を見張る。 「きっと思うところがあるんでしょうに。姫様と最近仲良くなれたみたいですし」 「そうか……いきなりの出陣で、幸村もと満足に話も出来んかったようだしのう」 「……そうでもなかったみたいですよ、大将」 その言葉に疑問符を浮かべる信玄を横目に、佐助は村のある方へと目を向ける。 恐らくあの二人のことだ、綺麗に別れをまとめたところで終わるわけがない。は幸村を、幸村はのことを今も心配していることだろう。心休まる時間の少ないこの戦場で、少しでも自分の主の愁いが晴れればいいと願うばかりだった。 そしてその頃。佐助の言うとおりに人一人いない村に幸村がいた。周囲がひっそりと静まり返る中、彼は一人の人物のことを思っていた。城に残っているのことだ。 「(あれから大分経ったが、周囲の護衛はしっかりとついているだろうか。殿のことだからうっとおしいなどと言って、また一人で城下に抜け出したりしていないだろうか……)」 近くにあった大きな石の上に腰掛けながら、夜空を見上げのことを思う。出立前に鷹や他の忍らに厳しく「殿の護衛を頼む」と言ってはきたものの、やはりこの目で見ない限りの安全が確信出来なかった。 以前までは、大切な戦場でこんなにもの身を案じたことはなかった。ひたすら戦い、己の闘志に身を任せて槍を奮ってきたのだ。しかし今はどうしたことか、本陣や総大将の信玄の下からも離れ、一人城に残った姫君を思っている。 虎の若子、紅蓮の鬼などと恐れられる幸村が戦場で何をしているのか、と他の者は聞いて呆れるかもしれない。これも幸村が出立前に、自分の気持ちをに告げたことが原因だろう。 ずっと秘めていた思いを初めて口にし、真田家の大切な御守りを彼女に託した。これが幸村自身にとっても、にとっても、ただの「姫と家臣」の関係ではなくなったと実感出来た瞬間だった。 姫として守り続けていた彼女を、今度はという一人の女性として守りたいと、ようやく自分の気持ちに気づいたのだ。その気持ちの奥深くにこそ、真の気持ちがあるのだが――今の幸村には決して分からぬものである。今はただ、を大切に思っていることが分かるだけで十分だ。 「すぐにでも北条を討ち取って、そして……」 とすぐに会おう。そして、以前言っていた見せたいものというのを見せてもらわなければいけない。大切な御守りも、本当はずっとに持っていて欲しいとも伝えよう。 それから―― ――カンカンカンッ 「敵襲! 敵襲!!」 「っ!?」 聞こえてくるは間違いなく、武田本陣がある方から。やはり北条は奇襲を仕掛けてきたというのか、それも夜という闇に紛れながら。 先のことを思うのをやめ、幸村は“今”を闘う為に立ち上がった。 「……! なっ、鉢巻が……!」 その時、後ろに引っ張られるような感覚の後、急にそれが無くなり反動で少しだけよろけてしまった。急に立ち上がったせいか、幸村が常に身につけている赤い鉢巻の端の方が切れてしまっている。どこかに引っ掛けてしまったらしい。 「…………」 ただの偶然、ただ鉢巻が切れてしまっただけ。そう思おうとするも、何故かそれが頭の中をぐるぐると回る。どこか不吉を予感させることだったが、これ以上この場に留まっている場合ではないのだ。 すぐにでも本陣の方へと戻り、奇襲を阻止し今度はこちらから攻めなければいけない。幸村は鉢巻のことを一先ず置き、急いで本陣の方へと向かう。 そう、ただ、鉢巻が切れただけ。 ◇ 時同じくして、躑躅ヶ崎館。 相も変わらず文からは何も分からず仕舞いで、特にこれといって何もない日々を送っているであった。引き続き本殿内での生活や厳重な警護下には置かれていたが、その環境にも順応してきたようだ。 「……眠れない、なあ」 深い闇に包まれる夜、横になるも中々に寝付けない。いつもならすぐにでも寝れるのだが、どうやら今日は違うらしい。 寝付けない日は数える程しかないが、そんな時はいつも夜風にあたって月を眺めていたものだ。しかしこの環境の中でそれが叶うかというと、否である。日中とは違って、夜は隠密行動がしやすい時間帯だ。普段もそうだが、戦中である今は夜中の警護もより一層厳重になっている。 少しだけでいい、冷たい風に当れば眠気が降ってくるかもしれない。軽い思いでは障子を少しあけた。 「厠に行ってくるわ」 「私がお供致します」 勿論厠になど行かなくても良いのだが、これしか良い口実が見つからなかったのだった。その意図を伝えると、部屋の前にいた侍女が一人と、兵が少し後ろからついてくる。 部屋から厠へは庭に面している長い廊下を歩かなければいけないが、今はそれが好都合であった。悟られぬように少しだけ遅く歩きながら、空に浮かぶ月を眺めた。今宵は満月だ。 ――カサッ 「! 今、音が……」 「姫様は此処に」 厠へと着く手前にほんの微か、庭の方から草を踏み分けるような音がした。風の音にしては、いささか重く聞こえたのだ。 兵が刀に手をかけながら、慎重に庭の方へと向かう。廊下にある明かりは蝋燭一本の炎のみの為、兵の姿はすぐに闇へと消えてしまった。 侍女は緊張した面持ちで辺りを見回し、を隠すようにして立つ。そしてはまるで癖のように、手を御守りの上へと持ってきていた。 「……少し、遅いわ」 「何かあったのかもしれません。様、直ちに他の」 ――ガタガタッ! 今度は何かが倒れた音がした。しかも今度は、が背にしている部屋の中から聞こえてきたのだ。今その部屋には、誰もいない筈だ。 その音を聞き、侍女とは体を震わせる。 「今、この部屋の中から、」 「様っ、すぐに此処か」 が音に反応し振り向くと、侍女は慌ててその前に出ようとした。しかしそれは、遂げられることはなかった。 振り向きざまに見えたのは、淡い蝋燭が照らす中に飛び散るどす黒い――赤。 「……え」 軽い音を立てて、すぐ傍にいた筈の侍女が倒れた。切られた、と判断するのに、には時間がかかりすぎた。 音がした部屋の障子が内から切られ、そこから黒い人影が見えたのだ。唖然としているは、瞬時にその黒に部屋に引きずり込まれてしまった。そこでようやくは「捕まってしまった」と理解した。 「――!?」 「大人しくしないとお前も切る」 口を塞がれ、手も強い力で掴まれており動かせない。助けを呼ぼうと叫ぼうとしたが、耳元で囁かれたその言葉に思わず声が出なくなった。 姿は確認出来ないが、この場にいるのはとを拘束している者――そして血まみれになって倒れている、侍女のみということは分かった。 「外の兵もすでに殺した。裏にいた忍も屋根の上で冷たくなってるだろうよ」 「!!」 「流石に忍相手は梃子摺ったが……それでも案外楽に姫さん見つけられたな」 低い声から相手は男だろうと判断出来る。それにこの手際の良さはのよく知る人物と重なった。佐助と同じ、忍。 どうやら姫であるを狙って侵入しに来たようだ。心臓の音が煩く聞こえ、は必死に自分を落ち着けようとする。今抵抗すれば、すぐにでも侍女のように殺されてしまうことは目に見えて分かる。 「大将の狙いは、今戦の真っ最中の武田と北条の勢力を少しでも削ぐことさ。北条にはじいさんとでけえ城しか残ってないが……武田には姫さん、あんたがいた。これは大将にとっても恰好の餌ってわけだ」 突然早口で囁かれたが、その内容と目的はしっかりと理解出来た。やはり姫という存在は他軍との対立の際には狙われやすいものの一つなのだ。は今、それを身をもって実感していた。 しかし一体、どこの軍がこのような夜襲をするというのか。今武田と北条が戦をしているということは、他にそれらを疎んでいる軍――の頭に一番に浮かんだのは、上杉だった。だが武田と上杉は好敵手、お互いに認め合っている相手と聞いている。その上杉が人質などを盾にして、武田を脅すだろうか? あまり考えられない。 そうすると他には、と思索しようとした時、固く塞がれていた口からその手が離れたことで意識がそちらへと向いた。 「っ、ひっ!?」 「おっと。大人しくしてろっつったろ?」 口が自由になったことで、思わず声を出してしまいそうになった。瞬時に、の顔の寸前には鈍く光る苦無が突き立てられていた。 「助けを呼べるとでも思ったか? 悪いな、こっちの方が都合がいいんでね」 「……随分、喋る……忍さん、なのね……」 「忍が全部無口なわけじゃねぇよ。ま、姫様だから知らないのも当たり前だろうけどな。俺達は単なる雇われだから、大将に誠心誠意つくしてるわけじゃねえ。別にこれくらい喋っても、どうってことない」 恐る恐る疑問を口にすると、それを咎めることもなく忍はつらつらと語った。 の身近にも佐助という普通に会話をするような忍がいる為、この忍が喋ることについてはあまり違和感を持たなかった。けれど戦国に生きる忍はあまり喋らないと、幸村や佐助自身からも聞いたことがあったので、その疑問を口にしたのだ。 「さて、お喋りもこのくらいにして……着いてきてもらうぜ」 いくら雇われといえど、今はこの忍はどこかの軍に味方しているということ。このままされるがままにしていれば、は連れていかれていいように人質として使われてしまうことが容易に想像出来る。 そうなれば自分の命一つの為に武田が危機に晒されるかもしれない、考えただけではその恐ろしさに気が遠のきそうだった。 「(このままじゃ、絶対にいけない。……この忍が、私をただの姫と見くびっている、この一時だけの……好機)」 あまり良い判断ではないだろう、しかしはとにかく武田のお荷物になるのだけは嫌だ、という一心でその考えを行動に移すことを決めた。 手の自由が利かない今、丸腰のに残された武器は体術――脚のみ。 「……っ!!」 「何!?」 張りつめた空気の中で強張っていた身体の緊張を、突然一気に抜く。力の抜けた身体は思いのほか重く、手を掴んでいた忍もいきなりかかる重さに思わず驚いた。 その一瞬の隙をついて、は脚で鳩尾付近を狙って思い切り蹴った。忍の装甲は固く、蹴っただけでは怯ます程度にしかならないが、今はそれだけで十分だった。掴まれていた手を思いきり引き、無理やりに拘束を解いた。 「てめえ……っ!」 「其処ら辺の、綺麗なお姫様と私を、一緒にしないでくれる!」 「舐めた真似しやがって!!」 思いがけないの行動に、忍は完全に頭にきたようだ。 しかしそれに構うことなくはとにかくこの場から逃げようとする。大声も上げれば、きっと誰かが来るに違いない。帷子の衿下が今までの動きで乱れているが、そんなことすら気にしている暇がなかった。 廊下へと駆け出そうとするだが、一瞬にしてその考えの甘さに絶望することとなった。 「きゃっ!?」 蹴りつけて怯んだと思っていた忍が、瞬く間にの目の前に迫り苦無で切り付けてきたのだ。あまりの速さに反応が遅れ、は胸の辺りを横一直線に切られてしまった。鋭い苦無は薄い布を越え、の肌を切りつけて辺りに血が飛び散る。 「っう……!」 「大人しくしてれば良かったものの、こんなことされちゃあ仕方ねえよな」 反動では後ろに倒れてしまい、忍を見上げるようにいる。切られた胸を抑えながら、は初めて感じるじくじくとした痛みに耐えていた。 「俺は大将にお前を連れてくるように言われてたが、抵抗するようなら……この館ごと、始末してもいいって言われてんだぜ?」 「! そんなっ、」 「お前が大人しく着いてくれば、この館は無事だったかもしれない。何せ武田にとってはお前の方が館よりも大事だろうからな。けれどお前は抵抗した、お前のせいで武田は姫と館という大切なものを一気に失うことになる」 「や、やめて……お願い、やめて……!」 城が落ちればそれは戦国の世からの撤退をも意味する。信玄の夢である上洛も、志半ばにして散ることになるのだ。幸村も、佐助も、武田の兵や民の皆が、絶望に臥すことに違いない。それも――自分のせいで。 必死に願うを、忍はとても冷たい瞳で見下す。それが更に自分のせいであるということを、に植え付けた。 「これもお前が大切にしてたものなんじゃねぇか?」 「!! やめて! お願い、それだけはお願い! 返してっ!」 忍が手にしているのは、間違いなくが肌身離さずつけていた御守りだった。幸村から預かった、あの大切な御守りだ。 それを見たは、咄嗟に御守りが自分の首にかかっているかどうかを確認するが、そこには自らの血が滲む紐しかなかった。どうやら忍に切り付けられた際に紐も切れ、運悪く御守りのみが忍の手に渡ってしまったらしい。 この訴えが逆効果とは分かっているものの、は必死に願い出るしかなかった。幸村にとってとても大切なものだということを、直に話を聞いたには痛いほどに知っている。自分だけのものではないだけに、その悲痛な叫びは聞いているだけでも辛いものがある。しかし忍は、逆に口元に笑みさえ浮かべたように見える。 「そんなに大事なもの、俺なんかが持ってちゃあ偲びねぇよなあ? そうだろ?」 「ええ、そう、とても大切なものなの……! だからお願い、それを返して、お願い……!!」 それを聞いて忍は不敵な笑みを浮かべた、ようには見えた。そして悟ったのだ、こんなにも必死に嘆願してはいけなかったのだと。しかし、気づくのが遅すぎた。 「じゃあこれも…綺麗に無かったことにしちまえばいいよな」 「お、お願いっ、やめて!」 忍は手にしている御守りをあろうことか、侍女の落した明りの蝋燭の上へと落としたのだ。残りの蝋も僅かで火が廊下に燃え移るかどうかの瀬戸際にあったが、御守りが加わるとその火も強く燃え始めた。そうしてみるみるうちに火は燃え始めたのだ。 「なんてことを、っう!?」 「おっと、姫さんも此処で果ててもらうぜ。この大切な御守りと一緒に、な」 燃える御守りに手を伸ばそうとしたが、腕を踏みつけられてそれすら果たせない。痛さと悔しさで目に涙が浮かぶ、そのの顔を眺める為か、忍は彼女の髪を掴み上へと無理やり向かせた。 至近距離で顔を無理矢理に合わせられ、その酷い屈辱に唇を強く噛んでしまった。の唇にまた一つ赤が滲む。 「せめてもの餞別だ。楽に逝けよ?」 「ぅ、あ……っ」 何か堅いものでは首の後ろを強く殴られ、一瞬目の前が光ったように覚えたが、すぐに意識が遠のくのを感じた。 髪を掴まれていた手を放され、そのまま頭も床へと落ちた。遠のく意識の中で、なんとしてでも御守りだけはと必死に手を伸ばそうとしただが、それすらも叶わずに意識は暗い闇へと落ちて行った。 忍はそれを確認すると、火種を取り出して部屋中へと撒く。そして紙を取り出し火をつけると、それを部屋の中に落とす。すると一瞬のうちに部屋中に火の手が回り、様々なものが燃えだした。 の嘆願する声で気づかれたかもしれないが、こんなにも大きな火が起きれば間違いなく人がやってくる。自分の姿が見つからないうちにと、忍びは一瞬にしてその場から消えた。 ◇ 「――!!」 「――れか、早く!」 誰かが、遠くで叫んでいるのが聞こえる。けれども頭が酷く重たくて、目を開けようとしてもそれがなかなか出来ない。 でも今すぐにでも目を開けなくちゃいけないような、そんな気がして、私はゆっくりとだけれど瞼を持ち上げた。 「……!姫様!」 「……よ、う……?」 「ああ良かった! このまま目を覚まされないかと心配でございました……!」 一番に見えたのは酷く疲れているような鷹の顔で、私は今どうしているのか分からなくなった。どうして鷹が、此処に? 「私……っう!?」 「無理はなさらずに! 頭を酷く打たれているようでございます!」 「だいじょぶ、だから……ねぇ、今一体、何が……」 寝かせられているのも分からず、とりあえず起き上がろうとしたら頭、というか首の辺りがとても痛い。けれど身体に鞭を打って、鷹に助けられながらもなんとか起き上った。 鷹に何が起きているか聞こうとし、同時に今何処にいるかを確認しようと辺りを見回す。どうやら本殿のようだけれど…やけに外が騒がしいのだ。 「畜生っ! 思ったより火の手が」 「まだおさまらないのか!?」 外から聞こえてきた声に、耳を疑った。火? 何のこと?――火? 「!!」 「あっ、姫様!」 鷹の静止を振り切って、私は立ち上がって障子を開けた。すると見えたのは、闇夜であるにも関わらずその中に煌々と明るい――火。 「そんな……っ!?」 燃えているのだ、本殿の一角が。そしてつい先程までのことを思い出した。あの忍は、幸村の御守りのみならず部屋まで燃やしたんだ! 全身が酷く痛むけれど、私は必死にその燃えている方へと向かう。すれ違う兵や女中の皆も気にせず、とにかく早く早く、と思いながら。 「! 姫様、何故こちらへ!?」 「通してっ! あの中に、御守りが、御守りがあるのっ!!」 「思ったよりも火が強いのです!一刻も早く、他の場所へとお移りにならねばいけません! 燃え移ってしまいます!」 間違いない、燃えているのはあの忍と鉢合わせした部屋だ。けれどその部屋の周囲にも火が燃え移ったらしく、広範囲で火が踊るように燃えている。 私に気づいた兵が中に入ろうとするのを邪魔するけれど、私は今それどころじゃない!あの中には幸村の、あの御守りがまだあるのだ!今ならまだ間に合うかもしれない、なんてほんの微かの希望に縋りながら。 「姫様!」 「鷹殿、姫様と共に早く避難を!」 「嫌あっ! 鷹、離しなさい!! 私はどうしても、あの御守りを!」 鷹や兵を振り切ろうとしたけれど中々手をどけてくれず、私がもう一度燃える部屋の方へと目を向けた。 けれどそれを計ったかのように、私の目の前で部屋のある一角が、炎と共に音を立てて崩れていったのだ。崩れながらも灰や火の粉が飛び散って、水をかけていた皆も逃げて行った。 「おい、崩れたぞ!」 「火に耐えられなかったんだ! それよりも早く水を!」 「……あ、あ……」 皆が火を鎮めようとしている声が、遠くに聞こえる。そして聞こえてくるのは、もういるはずのない、あの忍の声。 「お前が大人しく着いてくれば、この館は無事だったかもしれない。何せ武田にとってはお前の方が館よりも大事だろうからな」 「けれどお前は抵抗した、お前のせいで武田は姫と館という大切なものを一気に失うことになる」 「お前のせいで」 ――私の、せいで 私が抵抗しなければ、あんなに火が大きくなることもなかった。 私が音に気付かなければ、侍女や兵が殺されることもなかった。 私が夜風に当たろうとしなければ、誰も傷つかずに済んだ。 私が幸村から御守りを受け取らなければ、あの御守りも無くならなかった。 ぜんぶ、私がいけないんだ 「あ、あ、わた、し……なんて、こと……!」 「……姫様?」 「や、やぁ…やだ、やだよ……や……」 「姫様、しっかりしてください、姫様!!」 父上、ごめんなさい、私のせいで大切な館が燃えてしまいました。 皆、ごめんなさい、私のせいで危険な目にあわせてしまいました。 「某にとってこの御守りは、とても大切なもの。それこそ、真田家の宝と言ってもおかしくないと某は思っているのだ」 幸村、ごめんなさい――貴方のとても大切な御守りを、私は、私の身勝手な行動のせいで、失うことになってしまいました。 どうして、私はこんなことをしてしまったの? こんな、取り返しのつかないことを! こんなことになるのなら、こんなにも皆を苦しめる存在になってしまったのなら、私は、 消 え て し ま え た ら い い の に 「い、やああああぁぁぁああぁぁぁぁああっ!!!」 誰かの声が聞こえたかもしれない、けれど私はそれに耳を傾けようとする前に、自ら意識を手放した。 ← TOP → |