「さんて本当に綺麗な手ですよね」 「くの一教室の人たちとは全然ちがいます」 「私のいたところは、水仕事も畑仕事もすることがまずなかったから。あと、忍者になるための訓練もね」 「そうなんですかあ?」 「だからさんの手は、お姫様みたいに綺麗なんですね」 兵太夫と伝七と話しているのを見て、その内容に興味が湧いた。 さっきまで使っていた櫛をいじるのを止めて、さんの隣にいる伝七を押しのけてその輪に入りこんだ。 「ちょっ、綾部先輩!」 「なんの話ですか? 私も混ぜてください」 「人のこと潰しておいてそれはないでしょう!」 「まあまあ伝七、落ち着いて」 隣で煩い伝七を、そのまた横にいる藤内が宥めている。煩い伝七は藤内に任せて、と僕はまたさんの方へと顔を向ける。 「それでさん、何の話ですか?」 「あ、うん。私のいた世界のこと……かな」 「僕ももっと聞きたいでーす!」 身を乗り出しながら手を挙げる兵太夫に、さんは少し困ったような、はにかんだ笑みを浮かべる。もしかしたら、あんまり話たくないのかもしれない。なんとなくそう思った。 でも話の内容には本当に興味があったから、あえて何も言わずに話出すのを待った。 「……私のいたところにもね、忍術学園みたいな学校があったの」 「え、でも忍者はいないんですよね?」 「うん。私たちが勉強していたのは、忍者になるためのものじゃなくて……数とか漢字とか、色々なことを勉強してたの」 「ふうん……それでそれで?」 「学校で沢山勉強した人の中には、国……つまり日の本を統べるための手伝いをする仕事に就く人もいたのよ」 「日の本を統べる!? 大名か何かですか?」 「ああ、んー……国の制度も、こことはちょっと違うんだけどね。でも、頑張ればなんにだってなれるような、そんなところだったよ」 「へえ〜。なんだかすごいんですね!」 簡単に説明するのを聞いて、やっぱり別の世界の話なのだと改めて思う。だって偉い人になろうとだなんて、全くしっくりこないのだもの。 今も戦を起こして自分の力を広めようとしてる大名や城主も、さんの言う“偉い人”と似ているんだろう。そんなのになろうだなんて思うことが不思議でたまらない。 「国のこともそうだけど、技術の進歩はめまぐるしかったな」 「技術とは、なんですか?」 「たとえば……綾部君は、穴を掘ることが好きでしょう?」 ふいに自分の方へ視線と声が向けられて視線が合い、質問の答えを返した。 「はい、大好きです」 「その穴もね、人が掘らなくてもずっとずっとずーっと下まで掘れるようになるんだよ」 「……私よりも深く?」 「うん。それより、落とし穴……あ、蛸壺だね。蛸壺を掘れる場所も少なくなっちゃったかなあ」 「それは嫌です」 最後まで言うか否かという時、いつの間にか言葉が出ていた。だってさんが言うそれは、まるで今のように蛸壺が自由に掘れなくなってしまうということだろうから。 僕の反応に驚いた様子のさんは、間を置いてから少し悲しそうな表情を浮かべ口を開いた。 「こことは、全然違うんだよね……」 まるで自分に言い聞かせるかのように呟いたそれは、多分すごく近くにいた僕にしか聞こえなかったんじゃないだろうか。 もう一度声をかけようかと思っていると、元気にさんを呼ぶ声がして彼女はすぐそちらの方に目をやってしまう。 「さん! これからも僕たちにさんの話、たくさんしてくださいね!」 「え?」 「こら兵太夫、無理言ってさんを困らせるなよ。すみませんさん」 「……浦風先輩だってほんとは来てほしいって思ってるくせに」 「へっ、兵太夫! デタラメ言うなっ!」 兵太夫のからかいに真っ赤になっている藤内に、そうやっていちいち反応するから玩具にされるのだと思いながら僕はさんの方を見た。 「私もさんともっといたいです。また来てくれますか?」 「あっ、綾部先輩ずるい!」 「ぼ、僕だってさんに来てほしいです!」 「伝七もぬけがけー!」 「……みんな、ありがとう。そう言ってくれることが、すごいうれしい」 嬉しそうに笑うさんと良い返事を聞いて、三人は明らかに嬉しそうに顔を綻ばせている。 でも僕はそう簡単に笑うことが出来なかった。さっきのさんの、あの悲しそうな顔と呟きが頭から離れなかったから。 きっと自分のいた世界のことを話して、故郷が恋しくなったのだろう。忍術学園に来てからしばらく経つけど、ここが全く違う世界だというんだから寂しさも尚更なものだろう。 やっぱり生まれ育った場所の方が安心するだろうし。僕もさんの世界では穴を掘る場所が少ないと聞いただけで、絶対に行きたくないと思ったし。 「……ん、綾部君?」 さっきまでのことを思うと、体が自然と動いていた。さんの方へと身を寄せると、どうしたのかと問うように僕の名を呼ぶ。くすぐったそうに身を捩るのも、余所からの怒声も無視して更に身を寄せ続ける。 「どうしたの、綾部君」 「……こうしたいと思ったので、こうしたました」 「綾部先輩! 何してるんですかーずるいです! 僕だってさんに抱きつきたい!」 「おい兵太夫、そういう問題じゃないだろう!」 ああもう煩いなあ。少しは黙っていることが出来ないのか。明らかに僕とさんの邪魔をしてくることにじりじりと怒りを感じていると、そこで勢いよく目の前の障子が開いた。 「……喜八郎。貴様、何をしている?」 そこには片手にお茶や茶菓子の乗った盆を持った、立花先輩がいた。白くて綺麗な顔には、不釣り合いな青筋が立っている。おお怖い怖い。 「さんに擦り寄っているところです。ほら、すーりすりって」 「そこを離れろ喜八郎、今すぐにだ」 「えーなんでですか?」 「なんでもだ」 立花先輩はさんが大のお気に入り、というか執着している。だからこうやって少し触れているだけでも目くじら立ててくるんだから困ったものだ。 三人と一緒になってがみがみと煩い立花先輩のことも無視して、僕はさんから離れようとはしない。 「(ほらさん、貴女はこんなにも必要とされているんですよ)」 忍術学園が、此処が貴女の居場所なんですよ。そう伝えるように、尚のこと強くさんに身を寄せた。 閉じてゆく呼吸を見守ったまま 僕たちがいるから。だからもう、そんな悲しい顔をしないでください。 |