ガサガサと草を掻き分ける音と、自分の荒い息遣いだけが耳に入ってくる。もうそれ意外の音は聞こえなかった、ううん、聞こうとする余裕も気すらなかった。 来ないで、来ないで、来ないで、そう必死に願いながらも私はひたすら脚を動かすことに集中した。 「はぁっ、はぁっ、はぁ、っあ!」 急に止まる脚、そして反転する景色。手から脚にかけて走る痛みに、じんわりと汗が滲む。早く立たなきゃ、早く立って走って、走って、そしてアイツらに見つからないような場所に―― 「おい、いたぞ! こっちだ!」 「ひっ、」 「逃がすんじゃねぇぞ!!」 「おうっ!」 すぐ近くで聞こえた声に身体が竦んだ。 立て、立て、立て、動いて動いて動いて早く早くはやくはやく!! 早くしないとアイツらが来てしまう!! 言うことの聞かない脚を何度も何度も手で叩きながら、ようやくのろのろと動きだす。けれどそれには少し遅すぎたようだった。 「ぅああっ!!」 「へっ、やっと捕まえたぜ、嬢ちゃん」 「大人しくしてりゃあ殺すこたあなかったのによお」 折角安定し始めていた景色は再び強い力によって反転し、目の前には汚らしい男たち。ああ、ああ、ああああああああどうしようどうしようどうしよう、逃げなくちゃ逃げなくちゃ、でないと―― “コロサレル”! じりじりと迫り寄ってくるのを感じながら、私の頭の中では警鐘が鳴りっぱなしだ。なんで動かないの、なんで立てないの、なんでなんでなんで、私どうして殺されそうになってるの? 聞いても誰も答えてくれない問いを何度も繰り返していると、ついに目の前にぎらりと鈍く光る何かがちらついた。今まで目の当たりにすることなんて決してなかったものを、ちらつかせているのも含めて男たちは腰に差しているのだ。 なぜ刀が、日本刀と呼ばれるものが、此処にあるの? 勿論その疑問にさえ答えてくれる声はなく、耳に届くは男たちの下劣な笑い声だけだった。 「安心しろォ、楽に逝かせてやるぜ……ひゃっははははは!」 「っあ、あ、ああああああああああっ!!!!!!」 降り下ろされる刀、動かない身体、一瞬先の自分の運命など容易に分かってしまった。 ただどうしても目の前で起こっていることがまだ信じられなくて、目を見開きながらスローモーションで再生されているように感じられた。自分のことなのに、おかしなことにまるで他人のことのように思えた。 (ああ、死ぬんだ) こんな訳も分からぬ土地と状況で。 寸前まで下ろされた刀を前にして恐怖で叫ぶ自分と、おかしなくらい冷静に死を見つめる自分とが相重なった瞬間。目前に飛び込んできたのは赤い色だった。 「ぐっ、あ……」 「ひぃぃぃぃ!? な、なんだってんだこりゃあ!」 「誰だ、曲者かっ!」 びちゃっ、びちゃっと音を立てながらしたたるソレは、先程まで汚らしい声を発していた汚い男で、それはもう汚らしく大量に赤を撒き散らしていた。 それを見て周りにいた男たちは一斉に腰にさしていた刀を引きぬき、喚き散らしながら辺りを見回している。私は今の状況がどうなっているのかすら上手く理解出来ず、動かぬ身体でその場にへたり込むだけだった。 「曲者って、あんたらには言われたくないねぇ。まあ俺も曲者っちゃあ曲者なんだけど」 現れたのはまさしく、黒。 上から降ってきたのかと思いきや、いつの間にか黒は男たちを汚らしい赤に染めていた。一瞬の出来事に、私は瞬きをするのも忘れてじっと黒を見つけてた。 「……さて、君はどうして此処にいる?」 こちらに話しかけてきた黒は、片目だけを晒す男であった。それでも着ているものやどう見ても異質な雰囲気から、これは本当に“私が知っているような”人間であるのだろうかと思った。 耳触りだったあの声を発する物体はもう汚い赤に成り果てていたため、鼓膜を震わすのは黒の発するどこか心地よい声だけだ。さっきまで必死になって叫んでいたからか、カラカラになっている喉の痛みに耐えながら私はやっと一言を声にして出すことが出来た。 「ここは、どこですか」 この絶望は揺るがない 絞り出した声は、酷く掠れて小さなものだった。 (けれど静かな森の中で聞きとるのには十分すぎるもので) |