キンコーン、と授業開始のチャイムが鳴っている。 それを聞きながら私は先ほど入れたばかりのお茶を啜り、手元の本に目をやった。 しばらくはガタガタと椅子を引く音やら何やらが遠くから聞こえていたけれど、それもしばらくすれば止みあたりは静寂に包まれる。私がページを捲る音と、少し開いた窓から吹き込む風でカーテンが揺れる音しか聞こえない。 この時間こそ、私がここに来てから唯一心休まるものになっている。 「……お前はまた、こんな堂々とサボって……」 そんな時、ガラリと扉を開けてこの場所――保健室の主が入ってきた。 呆れた、という様子で優雅にお茶を啜る私を見ている。 「サボりじゃないです。自主休講ですよ、星月先生」 「それをサボりというんだ。まったく、あまり一人でうろつくなと言っただろう」 「だから、私にはそんな心配しなくていいんですよ。先生は大げさですよ」 先生が入ってきたと同じくして、私は先生の分のお茶を入れるべく席を立った。 言葉を交わしながら、まだ入れて間もない温かいお茶をコポコポと湯呑に注ぐと、ゆらゆらと湯気がたつ。はい、と先生に差し出すと小さくお礼を言って、それから自分の席に座った。私はまたさっきまで座っていたところに腰を落ち着かせると、少しだけぬるくなったお茶に口につけた。我ながら、おいしい。 「には自覚が足りていないんだ。何かがあってからでは遅いんだぞ」 「小言はもういいです。私この本読んでいたいんで、しばらく静かにしてくださいね」 「……はぁ」 有無を言わさないような言い方で釘をさせば、先生はため息をついてから口を閉じた。 それに満足し、私は本の続きに目を通し始める。保健室には、私がページを捲る音と、カーテンの音と、そして先生がお茶を啜る音しかしない。 ふ、と風が顔を掠めていき、それが新緑の香りも運んで来て鼻孔をくすぐった。ついこの間に桜を見たというのに、季節はもう夏へと移ろうとしている。そんな予感をさせる香りだった。 そういえば夏にはインターハイがある。最近は毎朝のように金久保先輩に頼んで弓道場で朝練をしているから、なんとなくだけれど上達したように思う。これも金久保先輩の指導と、そして時折顔を見せる宮地君のおかげなのかもしれないと、不本意ながらも思うのだ。 初めて朝の弓道場で対面した時は不愉快極まりなかったのに、回数を重ねるに連れてそれを受け入れている自分が、順応している自分が、嫌だった。以前にもまして弓を引くのが楽しいと思えるようになった。しかし、それと同じくらいにあの人たちとの距離が近くなっているような気もして、嫌なのだ。 「――夜久と、話をしたそうだな」 ぽつり、と静寂の中に言葉を零したのは星月先生だった。 けれど私はそちらを見るわけもなく、本に目をやったまま口を開く。 「部活が同じですから、それなりには」 「誘いを断られてしまったと、残念そうだったが?」 「誘い?――ああ、アレですか」 天文科の教室の方へ誤って行ってしまった時のことか。 あの時は夜久さんだけでなく、あの二人とも会って言葉を交わしたのだから気まずくて仕方なかった。 あまり良い記憶ではないので話したくないのに、先生はなおも言葉を続けた。 「学園での女子生徒は夜久とお前だけだ。それに同じ部活とあれば、仲良くしない方が不自然だろう」 「私は別に、友達を作りに来たわけじゃないですし」 「おいおい……」 「それに、夜久さんにはもうたくさんのお友達がいますよ。いまさら私と仲良くなったところで、彼女に得があるとは思えません」 事実だった。 彼女には学園に入る前から、あの二人と一緒にいた。そして学園に入って早々に生徒会に入れられており、弓道部にも入った。彼女の周りには、常に人がいた。そして彼女には、人を引き寄せる魅力がある。そんなこと、入学してからすぐに分かったことだ。 「私には、弓と星があればいいんです。弓と星さえ……」 星が学べて、弓に専念出来れば、それで十分だったのに。 たったそれだけの望みであったのに、今はそれさえ叶えてはくれない現状。そう思うと、ページを捲る手が自然と止まる。 「……先生」 「ん?」 「どうして、弓と星でさえ好きなままでいさせてくれないんでしょうか。私はただ、好きなだけなのに」 「……、」 「ごめんなさい。なんでもないです。部活があるから、失礼します」 先生が何かを言おうとしたのを遮るように、私はその場から逃げるようにして席を立った。 静かだった保健室には似合わない大きな音を立てて、ドアを閉めた。まだ授業中の廊下は静かだったけれど、そんなことに感傷することも出来ないくらい焦っていた。 原因はもう分かっているのに、それを認めてしまうのが嫌で。そして先生にまでそれを言われてしまったら、と考えるのが嫌で逃げてしまった。 ――だから、だめなのに。 |