ごめんねという一言のみの謝罪と、大量のハートの絵文字と共に綴られた“彼氏が出来た”という何行にも渡る文字の羅列を見て、私は握りしめていた携帯を思い切り閉じた。
折角地元で夏祭りがあるのだから、と言って誘ってきたのは向こうだというのに、どうしてこんな待ち合わせ時間にドタキャンメールを送って来るんだろうか。
確かに女友だちと二人きりで行くよりも、出来たてほやほやの彼氏と初デートの方がいいに決まっている。でも、この日をちょっとだけ楽しみにして、友だちが来るのをずっと待っていた私は、一体これからどうすればいいの。
いくらここで文句を言っても、幸せ絶頂の友だちには届くわけもなく、大きな溜息をつくしかなかった。私と同じようにここで待ち合わせをしていた女の子が、やってきた彼氏らしき男性と手を繋いで夏祭りへと向かうのを見て、また溜息が出た。

「……帰ろ」

ここまで来たけれど、一人でお祭りを見て回るには寂しいし虚しい。携帯を仕舞い込んで、家へと戻ろうとした。

「あれっ、ひとり〜? おじょーさん」

でもそれは叶うことなく、突然目の前に壁が出来て行く手を阻んだ。なんだよこの期に及んで、と上の方へと顔を向けると喋る壁の正体が分かった。
見た目からしてもチャラい、いかにもな男がいた。最初は目の前にいる一人だけかと思ったけれど、振り返れば同じような男が何人かいて、いつの間にか周りを囲まれていた。ああもう、なんなの。

「すみません、通してくれませんか?」
「俺らドタキャンされてさ、ちょうど暇だったんだよねー」
「私はこれから家に帰るんです。すみません、通してください」

こういう人達には、あまり長く関わると面倒くさいことになる、と相場で決まっている。
伝わりやすいように、声を大きくしてそう言い放ち男の横を通り抜けようとした。ところが物事というものはそう簡単に上手く進むことがなく、特にこういうややこしい男たち相手であればそれは尚更であり……つまり通り抜けるどころか腕を強く掴まれてしまったのだ。

「素直に帰すとでも思ってんの?」
「お互い暇してんだしさ、ちょっとくらい相手してくれてもいいじゃねぇか」
「……いい加減にしてください。大声出しますよ」

前から、後ろから、左右から。続々と姿を現してくる男たちに少しだけ恐怖を抱いた。掴まれた腕にも徐々に力がこめられてきて、痛い。
人がこれだけいるのだから、大声を出せば気付いてくれるかもしれない。そう思い脅しの意で目の前の男を睨みつけるも、男は怯むどころかにやりと笑った。

「こんな祭り時に、進んで面倒事に首つっこもうなんざ思う大人が……いるとでも思ってんのかよ」
「っ!?」
「見てみろよ、みーんな目逸らして祭りに行ってるぜ?」

耳元でささやかれた、酷く耳触りな声に鳥肌が立つ。
男たちの先に見える人混みは、まるで私たちのことなど見えていないかのようにぞろぞろと真っ直ぐ、祭り会場の方へと向かっている。たまにこちらを見てもすぐに顔を逸らしてしまう人もいて、ようやく男の言っている意味が分かった。
楽しい祭りに来た時に、わざわざたちの悪いナンパに捕まる女を助ける気なんて、誰も持ち合わせていないということ。いや、きっと私も違う立場ならそうなっていただろうけど、やっぱり味方がいないのは辛いものがある。強行突破しようにも、今まさに腕を掴まれており、男と女の力の差も思い知らされているところだ。

「大人しくしてりゃあいいんだって」
「あいつらとは違った楽しみ方で、な?」
「や、やめてください……!」
「あれー、さっきまでの威勢の良さはどこにいったのかな〜」
「怯えちゃって、かーわいいねえ」

自分でも分かるくらい、声が震えていた。それが更に男たちを調子に乗せていたことなど、考えている余裕すらなかった。
他人からナンパのしつこさや怖さについては聞いていたけれど、実際そこまで怖いものだなんて思ってもみなかった。何をされるか分からない、そんな恐怖が付きまとう。怖い。

「だっ、誰かっ!!」
「だーかーら、そんな声出したってだーれも助けてなんかくれないっつの」
「おい、行くぞ」
「やだあっ!! 誰か、助けてっ!」

ぐいぐいと腕を引かれ、草の茂る暗闇の方へと連れて行かれそうになる。本当に怖くてたまらなくなり、恥も忘れ大声で叫んだ。
どうして誰も助けてくれないの!どうしてみんな目を逸らしていくの!!絶対に、私の声は届いているはずなのに!

「その汚い手を離せ。下衆共が」

淀んでいた空気が、一気に澄んだものへと変わったように感じられた。
私と男たちが一斉に声のした方へと顔を向けると、そこにいたのは恐ろしく美人な――立花先輩、その人だった。

「た、立花先輩……っ!」
「久しいな、。委員会が無いと会う機会が無くて私は寂しいぞ」

委員会が同じで、よく面倒を見てもらっている大好きな先輩が、その整った顔立ちをより引き立てるような浴衣を着て立っていたのだ。
まさかここに来ているとは思わなかったけれど、それよりも今はこうして声をかけてくれたことが何よりも嬉しかった。

「お前誰だよ?」
「宿題はもう終わったか? まだならば私が教えてやろう、は確か古典が苦手だったな」
「こいつの連れか!?」
「無視してんじゃねーよ!」
「勉強会を開くのもいいな。兵太夫や伝七、藤内も呼ぼう。喜八郎は何もやっていなさそうだから、少し手を焼くかもしれない」

まるで私以外の人が見えていないかのように、立花先輩は私の方をじっと見ながら話しかけてくれている。同時に少しずつこちらの方へと歩いてきて、言い終わった頃にはすぐ近くに先輩の姿があった。ああ、やっぱり先輩は和装が似合う。

「てっめえ……いい加減にしろよなっ!?」

無視されたのが気に食わないのか、男の一人が先輩目がけて手を上げようとしていた。それも後ろにいたものだから、私は咄嗟に先輩の名を叫び危険を知らせようとした……のだけれど。

「っうわああああ!!」

後ろに目をやることもなく、立花先輩は男の手を軽くあしらいそのまま足払いをかけた。避けられるとは思ってもなかったのだろう、男は思い切り背中から転んでいた。
あっという間の出来事に、他の男たちも一瞬棒立ちになったものの、すぐに気を取り直して汚い言葉を先輩に向けて投げつけていた。手が掴まれていなければ、その口に石を投げ込んでやりたい。

「……今何か、蠅が飛んできたな」

こちらへと振り向いた先輩の瞳は、鋭く光っていてまるで獲物を狙う獣のように見えた。一見すると細い線で、整いすぎたその容姿からはとてもじゃないけれど想像もつかないくらいの恐ろしさが、その瞳には表れていた。
男たちもようやく立花先輩の怖さを知ったのか、少しだけ手を掴む力が緩んだように思える。

「さて……他の蠅は、どうやって処理してやろうか」
「ひっ、うわぁあああぁっ!!」

男たちの方へと微笑みかけた途端、情けない声とともに私の手を掴んでた男もみんな走り去っていった。
一瞬の出来事に、私は先輩に手を取られるまで呆けていた。

「大丈夫か? 怖かったろうに。……ああ、痕がついてしまったな」
「……っ、あ、いえ……こんな痕、すぐに消えちゃいますよ」
「そういう訳にもいかないだろう。少しここで待っていろ」

そう言ってどこかへ向かっていった先輩だったけれど、すぐに戻ってきて男に掴まれていた方の手を取った。すると痕のついたところに、冷たい布を当ててくれた。

「えっ、先輩、これ」
「まだ使っていないハンカチだ、気にするな」
「いえ、そういうことじゃなくて……」

わざわざハンカチを、しかも立花先輩のものを濡らしてまで、手に残った痕を気にしなくてもよかったのに。
私が何を言うまでもなく、すばやくハンカチを巻いてすっかり痕が隠れてしまった。ひんやりと冷たく、これならきっと痕もすぐに消えてしまうだろう。

「……先輩、助けてくれてありがとうございました。あと、ハンカチも」
「だから言っただろう、気にするなと。それに後輩が困っているのに、それを助けない先輩がどこにいる?」

優しくそう紡がれた言葉とともに、先輩の細く綺麗な手が頭の上に置かれた。委員会でも度々こうしてもらうけれど、私は本当に先輩に頭を撫でてもらうのが好きだ。
男の人にしておくにはもったいないくらいの美人でも、とても頼れる優しい先輩が、大好きだ。

「時に、これから暇か?」
「え。あ、はい……友だちからドタキャンされたので、ちょうどこれから帰ろうとしてたところです」
「それは都合がいい。私も同じような理由で一人だから、よければ一緒に祭りを見て回らないか?」
「!! それはっ、もちろんです! 是非ご一緒させてください!」
「良かった。では行こう」
「はいっ!」

ドタキャンされて、よかった。都合のいい考えだろうけれど、今が幸せならそれでいいんだ。
浴衣を着こんだいつもの倍美人な、大好きな立花先輩とお祭りを見て回れるなんて願ったり叶ったりだ。そもそもやっかいな男たちに絡まれたのもドタキャンが原因だけれど、こうしたきっかけを作ってくれたのもドタキャンのおかげだ。今ならば感謝できる、友よせいぜいそっちも仲良くやってくれ。

「先輩、浴衣とっても似合ってますよ! 本当に和装がお似合いですね」
「ありがとう。制服姿ももちろんだが、は浴衣も可愛いな。他の男が見るのが惜しいくらいだ」
「……っ! そ、そんなお世辞言っても、何も出ませんってば!」
「私は思ったことをそのまま言っただけだぞ」

何のためらいもなく言われた言葉に、思わず顔に熱が集まる。女の人の扱いには慣れているとは分かっていたけれど、こう面と向かって言われると恥ずかしくてたまらない。
それにいくら浴衣姿を褒めてくれても、明らかに先輩の方が女の私よりも美人なのだからやりきれない。そう考えるとこうして隣に立って歩くのも、完璧なる自虐行為なのでは……

「……あと数年で、誰もが美人だと振り向くような女にしてやる」
「……へっ!?」
は元がいいからな、すぐに大和撫子にだってなれるだろう」
「先輩、何を言って……」
「だから負い目を感じずともいい。私は今のままのが隣にいても、全く恥ずかしくない。それどころか自慢に思うぞ」

暗い中に浮かぶ先輩の姿は、いつもよりもずっと頼もしく見えた。思わず、自分の心が見透かされていたことへの驚きも忘れてしまうくらいに、見惚れてしまう。
そうして自信に満ちた声で言ったものだから、本当に大和撫子云々のこともやってしまうんじゃないかと思えてしまい、先輩の言葉の力にもまた驚いた。

「まずは一緒に祭りを楽しもうじゃないか。行くぞ」
「……はい!」

下駄をカラコロと鳴らしながら横に立てば、立花先輩の笑顔が返ってくる。今この時だけでも、先輩の笑顔を一人占めしてると思うとどうしようもないくらい嬉しくなった。
今はまだ無理だけれど、きっと来年や再来年、胸を張って先輩の横に立っていたい。だからどうかそれまでは、少し後ろから先輩の姿を見させてください。
そして私がいつか、先輩の認めてくれるような大和撫子になった暁には、この胸の内にある想いを伝えてもいいでしょうか。
優しく向けられるその笑顔をいつまでも見ていたい、そう強く願いながら決意を胸にし、先輩の隣を歩いていた。

数年後。再びこの地で開かれた祭りで、誰もが振り返る大変に美しい男女が仲睦まじく歩く姿があったのだった。