辺りを見回せば、どこも人、人、人。驚きつつも、少しわくわくしている私も確かにいるのを感じた。 こんなに人が沢山いて、賑やかで、とても楽しそうにしているところに来たのは、初めてだから。こうして浴衣を着て、少しお化粧もして、彼氏の久々知君と二人きりになるのも、初めて。 それを思い出した途端、驚きやわくわくが一瞬にして消え去り、忘れていた緊張が姿を現した。全身がピンと張るようになり、手にもじんわりと汗が滲む。 そして、こんなに賑やかなお祭りの中なのに、私と久々知君の周りだけは違う空気が流れているようだった。二人きりになってからというもの、ずっと無言の状態が続いていたからだ。 「…………」 「…………」 人と話すことが苦手なのもあるけれど、やっぱり好きな人と一対一で会話するのは、他の誰かと話す時よりもずっとずっと、緊張してしまう。 久々知君とこうした仲になれたのだって、竹谷君や鉢屋君、不破君の仲介があったからだ。今日のことを提案してくれたのも、彼らなのだけれど……みんなごめんなさい、やっぱり私、上手く話せそうにありません。大好きな久々知君とだから、なおのこと。 「……あのさ、。何か食べたいもの、ある?」 「……い、いえっ」 「……そ、そっか」 「…………」 「…………」 ああ、またやってしまった。 私が口下手なのを知って、久々知君はいつも気を使ってこうして話を振ってくれるのだ。 それなのに私は、いつもちゃんと言葉を返せない。どう答えていいか分からないし、もしも失礼なことを言ってしまったら、気遣いを無駄にしてしまうことになる。そう考えると、何も言えなくなってしまって。当たり障りのないようなことしか、言えなくて。 再び訪れた沈黙に、私は申し訳なくて思わず俯いた。 謝らなくちゃ、あと何か話さなくちゃ、何かを言わなくちゃ、いけないのに。唇が震えて、上手く声が出て来ない。 いつも久々知君から優しさや気遣いをもらっているといのに、私はどうして何もあげることが出来ないんだろう。謝ることすらも、出来ないなんて。 気付いたら視界がぼやけていて、慌ててハンカチで目元を拭った。こんな情けない姿、見せてしまえば迷惑以外のなにものでもない。 「あっ!」 「!?」 沈黙が流れていた中、突然久々知君が大きな声を上げたものだからとても驚いた。何か用事でも思い出したのかな、と恐る恐る隣の方へと目を向ける。 「あそこ、射的だって。見てみない?」 「……は、い」 偶然、私と久々知君がお互いに視線をやるタイミングが合い、一瞬視線が合ったものの恥ずかしさですぐに逸らしてしまった。 また失礼なことを、と思ったけれど久々知君はまるで気にしていなくて、出店の方へと向かっていく。 一瞬だったけれど、今の久々知君の顔がとても楽しそうに見えたのは、私の勘違いや見間違いだったのだろうか。 人にぶつからないように、久々知君の後を追ってようやく出店の前へとやってきた。店の中には棚が何段かあり、色々な物が置かれている。ぬいぐるみやゲーム機、お菓子も沢山あって、どれも普通に買えるものなのに、とても欲しく思えてくるのがなんだか不思議だった。特に一番上にある、キラキラに装飾された箱が、他のものより一層素敵に見えた。 「……あのさ、って射的見るの、初めて?」 ずうっと、それこそ穴があくんじゃないかというくらい、棚の方を見ていたらふと声がかかった。 久々知君が隣にいたことをすっかり忘れていて、景品に夢中になっていたらしい。なんて失礼なことを、と反射で口から出たのは、たどたどしい謝罪の言葉だった。 「っ、あ……ごめん、なさ」 「えっ、何で謝るんだよ。ただ、凄い興味深そうに見てたからさ」 「……は、い」 確かに実際に見るのは、これが初めてだ。だからと言って、景品の方に夢中になるのは……久々知君、怒ってないようで良かった。 あの箱はとても素敵に見えるけれど、これはゲームだから買えるわけではない。テレビで見た射的は、ライフルの模型を使いコルクか何かの弾を商品に当て、落とすことができれば景品が貰えるというものだった。 軽いものほど取れやすく、重いものほど取り辛い。一番上に置かれている箱は、景品の中でもかなり難易度の高いものだと一目で分かった。だから射的初心者の私にそれが取れるはずもなく、それどころか一番下のお菓子ですら取れるか分からない。 でも久々知君はこういうことが得意そうだから、きっと狙ったものならなんでも取れてしまうんじゃないかなと思った。獲得した景品を手に、嬉しそうにする久々知君の姿を安易に想像することができて、思わず頬が緩むのを感じた。 「どれか欲しいやつ、ある?」 当たり前のことのように、そう呟かれた言葉が耳に届いた瞬間私は恥も忘れ、久々知君の方を凝視していた。 「俺こういうの得意だから、取れると思うけど」 「えっ、あ、えっ!?」 「……そんなに意外だった?」 まさかここで声をかけてもらえるとは思ってもみなくて、私は挙動不審に久々知君の方と景品の方とを交互に見合わせた。それがまた誤解を生んでしまったらしく、それを否定する為に今度は首を思い切り横に振る。 今ちょうど、久々知君がこういうの得意そうだなって思ってたんだよ。それすら言えず、私は無言で首を振り、ただ否定することしか出来ない。またじわじわと後悔や自己嫌悪が胸の辺りを浸食し始めた時、横では久々知君が出店のおじさんにお金を差し出したところだった。 「どれがいい?」 「っ、ほんとに……いいんですか……?」 「勿論」 自信に満ちた久々知君を見て、私は思わずさっきまで見ていたあの綺麗な箱を指差そうとしてしまった。けどやっぱり取るのは難しそうで、まだ隣の携帯ゲーム機の方が取れそうに見える。 お願いすれば、きっと優しい久々知君は落ちるまで頑張ってくれるだろう。 「……じゃあ……あの、キーホルダーがいいです」 「……あの、うさぎの?」 「はい。……やっぱり駄目、ですか?」 「……分かった」 私が指差したのは、綺麗な箱ではなく中くらいの棚にある、少し大きめのうさぎのキーホルダーだった。 久々知君の気遣いはとても嬉しいけれど、それに素直に答えるための勇気が私には無かった。聞いてくれただけでもう、たまらなく嬉しかったから。 キーホルダーの方へ向けて銃を構える久々知君は、きっと誰もが目を奪われるくらいに――かっこよかった。 ――パンッ!! 「お見事ー!」 引き金を引いた瞬間、コルクの弾はまっすぐにキーホルダー目がけて飛んでいき、音と共に落ちていった。 おじさんがキーホルダーを拾い上げると、久々知君ではなく私に手渡してくれた。受け取る時に小さくお礼を言い、久々知君にも言おうと思って隣の方を向く。 うさぎのキーホルダーを落としたというのに、彼はまだ、銃をまっすぐと構えていた。 「……あの、久々知、君?」 「二発」 「えっ」 「あと二発で、取る」 本当に真剣な表情で、ある一点のみを見てそう呟いた。先程よりも少し高い位置で構えているから、今狙っているのはキーホルダーよりも上にある……つまり難易度の高い景品なんだろう。 もしかしてゲーム機が欲しいのかもしれない、私は汗ばむ手をきつく握りしめながら、絶対に取れますようにと心の内で祈った。 ――パンッ! 軽い音がして一発、上の棚にある景品目がけて飛んだコルクの弾はゲーム機ではなく、あの綺麗な箱に当たった。けれど箱は少し動いただけで落ちることなく、弾のみが下へと落ちていった。 落ちなかったことよりも私は、何故久々知君があの箱を狙っているのかが分からず困惑する。声を掛けたくても、彼から伝わってくる真剣な雰囲気に口を開けることすら出来なかった。 私は、周りの喧騒すら聞こえないくらいじっと、銃を構える久々知君の姿を見ていた。どうか、どうかあの箱が、落ちますように。 ――パンッ!! 最後の一発。音を立てて落ちたのは、コルクの弾と――綺麗に装飾をされた、箱だった。 「兄ちゃんすごいなあ! ほいこれ、大事にしろよ」 「ありがとうございます。じゃあ行こう、」 「!」 今度は久々知君が箱を受け取ると、すぐに手を引かれて私は慌てて足を動かした。何も言わず、ただ何処かへ向かい歩いていく後ろ姿に、私はおめでとうの声すらも掛けられなかった。 「……あっ、ごめん!」 「え?」 「あ、いや……急にこんなとこまで、引っ張ってきてさ」 突然振り向いてそう言う久々知君。いつの間にか私たちはあまり人気のない、開けた場所に来ていたらしい。遠くからはまだ、沢山の明りと楽しそうな声が聞こえてくる。 「そんなこと……全然平気、ですよ」 「……よかった。あ、これ」 そう言って差し出してきたのは、先程見事に当て得た綺麗な箱だった。まさか、だってこれは、久々知君が欲しくて取ったものではないのか。 「だって、これ……」 「はキーホルダーが欲しいって言ったけど、最初はずっとこれ見てただろ。だから……これは、に」 「……久々知、君……」 景品をじっと見ていた、あの時のことだ。まさか見られていたなんて思わなくって、少し恥ずかしくなる。 まだ箱を受け取らず手を迷わせていると、久々知君の手がまた私の手を掴み、掌に箱を乗せてくれた。両の手で箱を持てば、より一層箱の装飾の綺麗さが分かった。遠くからさす明りが反射して、淡くきらきらと光っている。 思わずほう、と溜息をついてしまうくらい見惚れているたけれど、目の前に久々知君がいるのを見て慌ててお礼を言おうとした。 「あっ、久々知くっ……あ、の……!!」 「ん?」 「……これっ、あの……」 「うん」 たった一言を言うだけなのに、どうして上手く伝えられないんだろう。もう人と話すことが苦手だなんて、それを理由にしてはいけない。伝えたいことは、ちゃんと言わなくちゃいけないから。 今も久々知君は、ちゃんと待っててくれている。だから言わなくちゃ、今日このお祭りに誘ってくれたこと、色んな気遣いをしてくれたこと、キーホルダーや綺麗な箱を取ってくれたこと、私を待ってくれていること、数えきれないくらいの全部が 「……っ、ありがとう!」 「……うん。どういたしまして」 久々知君の目を見て真っ直ぐと、ありがとうと言えた。他の人にとっては大したことのないことでも、今の私にとっては、それが大きな一歩だった。 そのまま恥ずかしくても目をそらすことが出来なくて、でも久々知君は目を細めて柔らかく微笑んだ。 「俺、待ってるからさ……もっとと、話したい」 「っ!」 「ゆっくりでいいから、沢山話そう。何が好きなのかとか、何が嫌なのかとか、寧ろもっと我儘言ってほしいくらい」 「で、でもっ……迷惑、じゃ」 「そんなこと、全然。だって俺は、と一緒にいられることがすごく嬉しいから」 私はあとどれくらい、彼に感謝を伝えることが出来るんだろう。きっと一生かかっても言いきれないくらいの沢山のありがとうを、彼は聞いてくれるだろうか。 心の底から溢れ出てくる嬉しさや感謝が、涙となって私の視界を滲ませた。自分が嫌で情けなくて、思わず浮かんだものではない涙。 「……っ、ありがとう。本当に、ありがとう……!」 射的で取ってもらったキーホルダーを、同じくしてもらった綺麗な箱に入れてそっと蓋をする。きっとこれは、いつまでも私の一生の宝物になるにちがいない。 「あとさ、敬語も無くしてくれるともっと嬉しいんだけど」 「っえ……」 「まあこれもゆっくり、な?」 とても自然な流れで、そっと取られた手からは久々知君の熱が伝わってきた。同じくらい熱い自分の手に、少しだけ力をこめる。 「祭りなんだし、もっと見て回ろうか」 「っ、は……うん」 箱をしっかりと握りしめて、私たちはまた祭囃子の鳴り交う中へと飛び込んで行った。 色とりどりに光る明りが、まるでこの箱の装飾のようにきらきらとしていて眩しかった。今だけ輝く明るい夜は、もう少しだけ続いていく。 |