毎年恒例の夏祭りがある、ということで周りの雰囲気に流されるがまま、私達は会場まで足を運んできた。 恋人たちのデートイベント、なる記事を一緒に見ていた雑誌に書いてあって、それにここの夏祭りの字があったことがそもそもの発端である。なんとも言えない雰囲気が漂い、男の意地というか思い切りというか、彼の方から「……行くか?」と声がかかり「……行こう、か?」と疑問系を疑問系で返すという会話とも言えないようなものを交わし、そのままの勢いで待ち合わせ時間まで決めた次第だ。 付き合い始めてから時間が経つものの、私の中では彼との関係が“恋人”というよりもまだ“友だち”のままでいる感覚がしていた。でも、それはきっと彼も同じように感じていたことだと思う。未だにキスどころか手も繋いでいない私たちを、世が恋人と言うわけもない。 だから恋人のイベント、と言われてもピンとこないし、ぶっちゃけ人ごみとか苦手だから進んで行こうという気はしなかった。 だけど、きっと彼も彼なりに頑張ろうって思ってくれたんだろうし、その気持ちにはこたえたい。だから、女の子らしくなるべく浴衣とか着ちゃったりして、恋人な雰囲気になればいいなあと思いつつ待ち合わせ場所に向かったわけだけれど。 「……すげーな」 「……うそでしょ……」 夏祭り会場には、これでもかというくらいの人がいた。沢山のとか、ごったがえすとか、そういうのを超えているくらいの、人の多さ。 中へと入る人はとめどなく流れていくのに、帰っていく人の姿はこれっぽっちも見られない。どうも最後に花火が打ち上げられるらしく、それを心待ちにしている人が殆どだからなのだろう。 それにしてもこの人の量には、唖然とし開いた口が塞がらない。 「人気だったんだな、この祭りって」 「……食満ってここのお祭り来るの、初めて?」 「ん、まあな。人ごみとかあんま好きじゃねえしさ」 なんだ、食満も人ごみが苦手なんじゃない。だったら無理、することなかったのに。 それでも行くか、と聞いてきてくれたのは彼の優しさと勇気だろう。だけどそこまでして恋人たちは、こんな人ごみに紛れていかねばいかないのかと考えると、あの雑誌の記事が馬鹿らしく思えた。 こんな浴衣を着てオシャレをしても、周りだってみんな浴衣で私だけが特別というわけでもない。わざわざこんな所じゃなくても、他の場所でだって花火も見れる。考えれば考えるほど、悪い方向にいってしまう。 「じゃあ行くか」 「ん」 いつまでも此処にいても仕方ないだろうからと、私は小さく返事をしてから食満の背中に続いた。 中へと入る流れに混ざれば、人と人との距離が思ってた以上に近くて苦しい。それに夏の暑さも加わり、良い状態とはとてもじゃないけど言えない。 必死に食満の背中を見てついて行こうとするけど、これまた人が視界を邪魔する。前に割り込んできたり、ぶつかられたり、身長が低い私にとってはそれを防ぐ余地すらなかった。 「……っ、あ!」 突然人が増え、私を追い越していくと次々と前へと割り込んできた。そのせいで名前を呼ぶ間もなく、あっという間に食満の姿が見えなくなってしまった。 喧騒だけが私の不安を駆り立てて、名前を呼ぶことすら躊躇わせた。でも迷っている場合ではない。 「食満! 食満っ!!」 必死に名前を呼んでも、周りの声に溶け込んで先にいる彼へとは届かない。私だけが必死になっていて、他の人は談笑しているなんて、理不尽すぎる。 こんなことになるのなら、可愛らしく手を繋ごうくらい言っておけばよかった。そういうのも彼女の技の一つだとかなんとか、例のくだらない雑誌に書いてあったけれど、これだけは合っていたらしい。こんな人ごみの中じゃ、手でも繋がなければすぐにはぐれるに決まってるじゃないか。 (ああ、そっか。そこから距離が縮まるのか……) とりあえず待ち合わせの場所に戻ろう、と思い人に何回もぶつかりながら、出来るだけ端の方へと寄って歩き出した。 すれ違う人々の中に見えるのは、手を繋いで仲良さそうに歩く恋人達。どうして私、あんな風に可愛く出来ないんだろう。 ようやく辿り着いた待ち合わせ場所には、当たり前だけど誰もいなくて。近くにあったベンチに腰掛ければ、どんどんと流れていく人の波がよく見えた。本当だったら、食満と一緒に出店とか見てたのかな、と思うと無性に泣きたくなった。 はぐれなければ、私が可愛げある行動をしていれば、食満にだって変な気を使わせずに済んだのかもしれないのに。 膝の上でキツく握り締めた手には、いつの間にか自分の涙が零れ落ちていた。泣いたって意味ないのに、食満が戻ってくるわけでもないのに―― 「っ、!!」 「!?」 聞き覚えのありすぎる声に顔を上げれば、向こうの方から走ってくる食満がいた。まさか、本当に食満が来るとは思わなかったから、私はまた開いた口が塞がらない状態だった。 「はーっ、此処にいて、よかった……!」 「……食満って、泣いたら、現れるの?」 「何言って、っておま! 何泣いてんだよ」 「だ、だって、」 溢れる涙を拭こうとしたら、その前に食満が強引に自分の浴衣の裾で拭ってくれた。ちょっと乱暴にだけれど、ごしごしと目元を綺麗にしてくれたのが嬉しかったから、痛いなんてことは口にしなかった。 「泣いてたら、食満がっ」 「泣いてなくたって、俺はお前に会いに行くっつーの」 当たり前だろ、と言いながらも拭うのを止めない食満に、私は一瞬泣くのも忘れて呆けてた。なんて言ったのよ、今。 「っ、どして私、もっと可愛くなれないんだろうって、手繋ごうって言えばよかったのに」 「……俺も、さ。こういうの初めてだったから、どうしていいか分かんなかった。ごめんな」 「食満が謝ることなんて……っ!」 よし、と一通り拭き終わると食満は手を離した。先ほどよりも鮮明になった視界に映る彼は、少しだけ頬が赤くて髪も乱れてるように見える。あの人ごみを掻い潜って走ってきてくれたんだと思うと、嬉しさと申し訳なさで胸がいっぱいになった。 「焦ってたんだよな、俺たち。恋人らしくなろうって」 「……うん、そうだね」 「でも恋人らしく、っておかしいだろ。俺は、こうすることが出来るだけで……いいんだけど?」 そう言って差し伸べられた手を、断る理由は無かった。 デートスポットとか、恋人らしい雰囲気とか、あんな雑誌に書いてあることを気にすることなんてなかったんだ。だって私、食満がいればそれだけでとても幸せで、嬉しくなることをずっと前から知っていたのに。一番大切なことを忘れてたけど、手を差し伸べられてやっと大切さを実感した。 手を握ったまま引っ張られ、自然と立ち上がると食満と目が合う。なんだか恥ずかしかったけど、お互い目を逸らすことはなかった。 「今度こそ、行こうぜ」 「……うんっ!」 しっかりと手を握り締め、私たちはまた人の波に混ざっていく。今度は周りの喧騒すら全く気にならず、距離が近いことに緊張しっぱなしだった。 「……あの、さ。ずっと言おうと思って、言うタイミングすっかり逃しちまったけど……」 距離が近い分、ずっと声は聞きやすかった。隣にいる彼の方を見れば、暑さのせいかそれとも照れなのか、先ほどより頬を赤くしているように見えた。 「その、浴衣……可愛いな」 「……ふふっ、ありがと」 照れ笑いする彼はいつもよりも少し幼く見えたけれど、それが私にはとても新鮮に思えた。ぎゅう、と握られる手もがとても熱く、これは間違いなくお互い夏の熱にやられたんだとふと思う。 私も負けないようにと握る手に力を込めてから、同じくずっと言おうと思っていたことを口にした。 「食満、その浴衣……すっごい、かっこいいよ!」 二人して頬を赤く染めたのは、果たして夏の熱のせいだけか。それは私と食満にしか分からない、熱い熱い夏の一時のこと。 |