留三郎が、いなくなった。
学校には『自主退学』なんて言って辞めたらしいけど、かえってそれが変に尾ひれをつけてあらぬ噂ばかりが流れている。 周りはその真意を確かめようと、留三郎と仲が良かった私や文次郎に次々と聞いてくるものだから、私は耐えられず外に飛び出した。

留三郎が未来から来たということ
その術を私の不注意で彼から奪ってしまったということ
おばさんが直している、あの絵がどうしても見たくてこの時代にきたということ
もう、留三郎のいた未来へは   帰れなくなってしまったということ

時間を行き来できる力を使って、私は今まで好き放題にやってきた。けれどそれが、留三郎が見るだけでよかったという絵の補修完成を遅らせたり、彼からの気持ちを無しにしようとしたり、彼がもといた時代に帰れなくなってしまう原因になってしまった。
「帰らなねえといけなかったのに、いつの間にか夏になった。お前らと一緒にいるのが、あんまり楽しくてさ」
私達以外の全ての時間が止まった世界で、帰れなくなったというのに彼はそう言った。
おばさんが直していたあの絵が、もうすぐ見れるって言ったのに。ナイター一緒に行くって言ったのに。花火大会も行くって言ったのに。私の浴衣姿、ちょっと見たいって言ったのに。
動き出した時間の中から、留三郎の姿を見つける事は出来なかった。そうして彼は、私達の前から姿を消した。

「あの野郎……お前のこと、好きだったくせに」
色恋沙汰には全く疎いと思っていた文次郎は、彼の気持ちに気づいていた。

「私ね、本当はは留三郎君とも文次郎君とも、どちらとも友だちのままだと思ってた」
昔を懐かしむように話をする魔女おばさんには、なんとなくだけど私と同じ経験があるんじゃないかって思った。

私は、馬鹿だから。留三郎とも、文次郎とも、ずっとずっと、これから先もずっと、友だちのままでいられるんだって、そう思ってた。
だけどやっぱり、それは間違いだった。時間が経つにつれて、変わらないものよりも、変わらずにはいられないものの方が沢山ある。人も、景色も、あの絵だって。……でも、私は見つけた。変わらないものを。

「あいつがお前に何も言わずに消えるわけがない」
何も知らなくても、文次郎はいつも私の背中を押してくれた。

「待ち合わせに遅れてくる人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょ」
自分とは違うだろう、と教えてくれたのは魔女おばさんだった。

家に帰って、一人思い起こしているうちにふと見つけた、腕に刻まれた『01』の数字。家族からの声も耳に入らず、勢いよく家を飛び出した。数字が示した意味は、私がタイムリープできる回数。
今の時代と留三郎のいた時代、とても違うんだって話を聞いて分かった。野球も、無くなっちゃうんだね。それはやっぱり長い長い時間が経って、それと一緒に周りも変わっていっちゃったからで、きっとどうしようもなかったこと。変わらざるをえなかったこと。
けど私は、留三郎がいたことは、ずっとずっといくら時間が経ったって、変わらないことだって思うから。

「ぃぃいっ、けええええぇぇぇぇぇっっ!!!」

変わらないものがあるって、伝えたいから。だから今、行くから。時間をこえて。



私が未来から来た、飛べるって言ったら、やっぱり留三郎は驚いていた。そして未来の留三郎がタイムリープの存在を話したと言えば、未来の自分に呆れていた。
でもそんなことはもうよかった。目の前に留三郎がいるだけで、本当に嬉しかった。
彼に言いたいことは沢山あるのに、上手く喋れずに私達は無言のまま夕方の河川敷に来ていた。様々な思い出のあるこの場所も、留三郎のいる時代にはないのだと思うと悲しくなった。

「……あの絵、未来でももう無くなったり、燃えたりしない。留三郎の時代にも残ってるように、なんとかしてみるから」
「……ああ。よろしくな」

やっと言葉に出来たのは、これだった。絵のことは勿論そうなんだけど、でも、もっと言わなきゃいけないこととか言いたいこと、いっぱいあるのに。でも言ったらそれで満足して、何かが終わっちゃうような気がした。

「お前らといるのが、あんまり楽しくてさ。いつの間にか夏になっちまった」

少し言い方は違えど、あの時と同じく留三郎はそう言った。私は大人しく耳を傾けていた。

「この時代は、俺のいた時代とは色んなものが違かった。空や、建物や、学校も。殴り合いの喧嘩なんてしたのも、初めてだったんだぜ?」
「……文次郎とのこと?」
「正当防衛っつったのに、それが悪いとかやりすぎだとか言いやがってあの野郎。思いっきり殴りやがって」
「変なところで真面目だし。……でも、ずっと三人でいたよね」
「まあな」

留三郎と文次郎は、犬猿の仲と言うのに相応しいようなくらい、仲が悪い……というか、喧嘩ばかりしていた。
毎日のように喧嘩をしていたというのに、私達がずっと三人でいたのはきっと、本当はそこまで仲が悪いわけではないということだと思う。時々見せた息の合いっぷりには、毎回驚かされていたから。

「野球、教えたのは私なのに……いつの間にか、留三郎の方が上手くなってたのが、すっごい悔しい」
「なんだよ、急に」
「……忘れないでよね、野球。またやるから、三人で」
「……おう」

三人で、ともう一度心の中で呟いた。私と、留三郎と、文次郎の、三人。かけがえのない時間を過ごして、思い出もたくさん作った三人。
楽しくて仕方なかった、毎日学校に行くのが楽しかった、一日一日が経つに連れて色がついていくようだった。
でも自分の気持ちに気づいた今、やっと分かった。留三郎、あんたがいたから、変えたくない思い出が出来たんだって。遅くなってごめん、馬鹿でごめん、ってもう知ってるかもしれないけど。
少ししてから立ち上がったものだから、私も一緒に立ち上がった。さっきまで何人か歩いていたはずなのに、いつの間にか辺りにはあまり人影がないように見える。

「一応、文次郎によろしくな。楽しかったぜって」
「……うん」
「あとさ……、」
「……なに?」
「ずっと、実は言おうと思ってたことがあんだけど……」

河川敷沿いの道に、向かい合うようにして立つとそう口を開いた。
少し落ち着きのない様子を見て、もしかしたらまた言ってくれるんじゃないかって心のどこかで期待した。もう二度と、私は留三郎の気持ちを無かったことになどしないで、受け止めようと思った。

「お前さ、」

今か今かと留三郎の言う言葉を待ちながらも、心なしかどきどきと心臓が煩いのを感じていた。答えはもう、決まっている。

「……急に飛び出したりして、怪我とかすんなよ」
「…………っ、はぁああ?」

予想を大きく外れた言葉に、私はそのまま素の声を出してしまった。散々もったいぶって言ったことが、それってどうなの?

「だから、注意力が足りねえんだから、行動する前にもっと考えろ。な?」
「……なにそれ、最後の最後に、それ?」
「心配してんだよ。はすぐに走り出して、そのくせ前見てねえからコケんだよ」

期待したた自分が馬鹿みたいで、悔しいのか寂しいのか分からないけど、滲んできた涙を堪えながら搾り出した声は散々だ。
ちょっと笑いながら言うものだから、馬鹿にされているようでムカつく。言い返せないから、もっとムカつく。
あ、やばい、もうだめだ。泣いちゃう。

「〜っ、分かったよっ! 心配してくれてありがとうっ!! だから早く行ってっ!」
「何怒ってんだよ?」
「ほら、行ってって!!」

顔を見られぬように、留三郎の背中をぐいぐいと押して促した。ほんとは帰ってなんかほしくない、という気持ちとは裏腹に、最後に泣き顔なんて見られて堪るかという意味のない意地が私を駆り立てた。
私が怒ってる理由なんてこれぽっちも知らず、留三郎は私が押すとそのまま歩いていった。

「……じゃあな」
「じゃーなっ!」

少し離れた所から、きっと聞くことは最後になるだろう彼の優しい声が聞こえた。意地っ張りが最後まで出しゃばって、ぶっきらぼうにしか返せない自分がいやだ。
下を向いたまま、逆の方向に歩き出す。もう留三郎は未来に帰ったのだ、もう会えることなど、ない。立ち止まって足元を見てると、迫ってくる影が見えた。自転車に二人乗りした男女が、楽しげに会話しながら横をすれ違った。
――あの日の、私たちのような

「……っ!!」

振り返っても、そこには今すれ違った自転車の男女しかいなかった。留三郎は、いなかった。

「ぅう、うわぁああっ、ひっ、っ、なんでっ……ぅあああんっ!!」

分かってて振り返ったのに、いないって分かってたのに、どこかでまた期待してた自分がいたんだ。
誰もいなくなった河川敷の道で、耐え切れずに大声で泣いた。留三郎がいなくなっただけで、こんなにも私は寂しくて悲しくて物足りなくて、どうして今なんだろう。なんで今になって、痛いほど自分の気持ちが分かっちゃうんだろう。
それを伝えたい人は、もう此処にはいない。

「ああぁあぁっ! ひっく、ううっ、」

いくら涙が出ようと、鼻水が出ようと、もうお構いなしだ。すんすんと鼻を引きずり、無理矢理に涙を拭う。ああ、私はずっと、泣いてばかりだ。
思い出……留三郎との思い出がありすぎるこの場所に、彼のいなくなった今はこれ以上いたくなかった。帰ろうと、また道を泣きながらゆっくりと歩き出した。嗚咽はなかなか止まらない。
抑えきれない悲しさの波が、再び中から溢れ出てきそうになり、一際大きく泣き出そうとした瞬間。後ろから、肩を掴まれそちらへと引き寄せられた。

「……っ、とめ、いたっ!」
「……ばーか」
「ま、また馬鹿って、」

引き寄せられるがままにすれば、目の前には帰ったと思っていた留三郎の顔があって。けれどそれに驚く前に、額に痛みが走る。留三郎と私の額がぶつかったのだ。
痛さと馬鹿にされたのと驚きと、何が何やら分からぬまま、涙が出るのも気にせずに彼の方へと目を向けた。視線がぶつかるかと思ってた、けれどそれは叶わず、留三郎の顔はいつの間にか私の顔のすぐ横にきていた。

「――未来で待ってる」

耳に寄せられた彼の口から小さく囁かれたその言葉は、私の涙を引っ込ませるには十分なものだった。
離れると、やっと留三郎の顔をちゃんと見ることができた。はにかんだような、ちょっとぶっきらぼうな笑顔がそこにはあった。
引き寄せられた時に首に添えられた彼の大きな手は、するすると上がり私の頭をくしゃくしゃと撫でる。その手も離れていったけれど、もう寂しいなんて思わなかった。

「……うん、すぐ行く。走って行く」

だから待ってて、留三郎。
最後に溢れた一粒の涙は、目の前で彼が消えたと同時に、頬を伝って落ちていった。

私は絶対に忘れないよ、留三郎と過ごした時間も思い出も、全部。だってそれが、変わらないものなんだから。どれだけ周りが変わろうと、絶対に絶対に、それは変わらない。
走っていくから、その時はちゃんと受け止めてね。私のことも、私の気持ちも。私も全部、受け止めるから。だから……


Time waits for no one
待ってられない未来がある


私と過ごした時間を、留三郎も変わらず覚えていてね。きっと、すぐに私たち、会えるから!