私には過去を生きていた時の記憶があります。誰かにそう言われたわけでもないのです、けれどもそう思うのです。 戦ばかりが起きている時代でした。人の死ぬところを幾度となく目にしてきました。けれども私が輿入れする前、行儀見習いとして入った学園にいる間にはとても楽しい時間を過ごしました。 友がいました。師がいました。3年間という短い間でしたが、私はとてもとても、楽しくて幸せだったのです。 でも学園生活の中でも、一際色濃く残っている記憶があります。お慕いしていた方と時間を共にさせていただいたことです。 忍者のたまごとくのいちのたまごが時間を共有することは、学園では中々に難しいことでもありました。それでも私は数刻、数分でも、あの方の傍にいられればそれでよかったのです。私の初恋は、間違いなくあのお方でした。 あの方が学園で過ごされた時間の中に、どれだけ私がいてどれだけ私のことを映してくださっていたのかは分かりません。けれどお互いに親しく名前を呼び合うくらいには仲を深められた、と。そう思うのは私の勝手な思い込みかもしれません、それでもとても幸せだったのです。 「」と呼んでくださるあの声が好きでした。 委員会のことを話す時、とても誇らしげに後輩たちのことを語る姿が好きでした。 たまに怪我したことを隠して、それを私に気づかれた時の困った顔が好きでした。 私が落ち込んでいれば無条件に差し出してくれる、傷の耐えない手が好きでした。 ありがとう、と言えばおう、と歯を見せて笑う笑顔が好きでした。 駆け寄ってくる小さな忍たまたちを見て、優しく微笑む姿が好きでした。 どれだけ短い時間であろうと、あの方の姿を一瞬でも目にするだけで、私は恋をしていました。その恋はだんだん、だんだんと、3年間の月日を経て、とても大きな恋へとなっていたのです。 ですが3年、それが私に与えられていたたった少しの自由な時間だったのです。私は無事に行儀見習いとしての全課程を修了し、学園を去ることになったのです。 これは学園に入る前、両親にも言われていたことで、私も同意の上で3年間の入学を決めたのです。でもこの大きすぎる恋を背負ったまま、学園を去ることはとてもとても、悔やまれることでした。 くの一教室には他にも行儀見習いのくのたまがいて、私と一緒に学園を去る人の数は少なくありません。でもくの一教室に残る人も、少なからずいるのです。私はその人たちのことが羨ましくて、たまらなくて、今までありがとう、という言葉の次に「がんばってくださいね」と続かなかったのです。 もしかしたらこの中の誰かが、あの方と一緒になってしまうかもしれない。こんな時まで、私の心の中は嫉妬と不安でいっぱいだったのです。そんな自分が醜くて、恥ずかしくて、私はそのまますぐに学園を出てしまいました。あの方に、最後になるでしょう別れの挨拶ひとつも告げずに。 それからの毎日は、後悔の連続でした。なぜあの時に一言でも伝えなかったのか、なぜ悔しさに後押されてしまったのかと。そればかりが、私の心に日々募っていったのです。 無事に行儀見習いを終えた私を嫁に迎えたいという方がいらっしゃると言われ、私は両親に薦められるがままにその方と夫婦になりました。その方は大層私のことをお気に召されたようで、まるで一国の姫君のように大切にしていただきました。とても有り難いことです。でも私は、そんな幸せに溢れるはずの毎日の中でも、忍術学園に今もいるあの方の姿をずっとずっと思い浮かべていたのです。 夜の帳が下りてからも、営みの最中はいつも彼の方を思いながら耐えていたなど、誰にも言えぬことでございます。私はあの方と離れてから、日に日に彼の方への思いが高まっていったのです。せめて学園を去る時に一言だけでも、気持ちを少しでもお伝えできればと、常に後悔をしているのでした。 ですがある日の夜、事は起きたのです。私のことを大切にしてくださる夫がいるというのに、他の殿方を思っていた罰がくだったのでしょう。沢山の盗賊たちが家に攻め込み、目の前で夫の首が飛ぶの光景を瞼に焼き付けられました。そうして家にいる者たちは全て赤に染められ、私も程なくして盗賊らの手にかかったのです。 ああ、きっとこれは罰なのでしょうね。誰にとなく呟いた言葉に、誰かが深く頷いたような気がしました。薄れゆく意識の中で、私は深く後悔をしながら目を閉じたのです。 ――あなた、ごめんなさい。あんなにたくさん愛していただいたのに。 ――でも確かに幸せでした。ありがとう、ありがとう。 ――けれど、願わくば、もう一度だけ、もう一度だけあの方の姿を目にすることが出来るのならば ――私はもうそれ以上の欲はありません。 ――だからどうか、どうか私の魂を、少しだけでも、彼の方の元に…… 「お、笑った」 少しだけ狭い視界に、一人の男の方が映りました。そしてその声に気づいて、また一人、今度は女の方が顔を覗かせました。 「あら本当。ご機嫌ですね〜パパと一緒にお出かけだからかな?」 「そうかそうか、おまえはママよりパパのが好きか」 「そういう意味じゃないでしょうが! ねえ、ママのこも好きよねえ」 手が伸ばされ、浮遊感ののちに女の人との距離が一気に縮まります。抱き上げられたのだと分かると、居心地が変わったむずがゆさに思わず身体を動かしてしまいました。 それがぐずっているのだと勘違いされてしまい、女の人は必死に私をあやそうとゆらゆらと動かしたり変な顔で笑わせようとしてくれます。ごめんなさい、でもちがうのです、私はただ少し居心地が悪くて、それを自分で変えようとしただけなのです。 言葉に出来ないのがもどかしく、頑張ってもうーうーと間延びした声しか出ないのがまたたまらずもどかしいのです。でもふいに、また浮遊感がして、今度はとても居心地の良い、まるで上等な毛布に包まれているような感覚をえたのです。視界に映ったのは、男の人でした。 「ママは抱き方が相変わらず下手で困るなー」 「ああっ、また……」 「だから言ってるだろ、腕全体で抱いてやるんだって」 「……私よりも詳しいのがむかつくわ」 「たまたまだ、たまたま」 ゆらゆらと、気持ちの良い腕に抱かれながら揺られていると、うとうととした眠気が襲います。もっとあなたと一緒にいたいのに、寝てしまったらあなたはまたどこかに行ってしまうのではないか、そんな不安から私は中々眠りにつくことが出来ません。 「ん? なんか寝ようとしねえな」 「ええー? オムツもミルクも終わったのになあ」 訝しげに首を傾げる二人に向かって、私は違います、そうじゃないのです、と言いたかったのに。 「ぅあ〜、うー」 「ど、どうしたんだ」 「……あ、もしかして、またパパがいなくなっちゃうと思って寝れないんじゃない?」 「なんだそれ?」 「うそ、覚えてないの。前に留三郎がを寝かしつけてから、出張行ったことあったでしょ。それからずっとってば中々寝ないようになったんだから!」 「ああ……そういやそうだったな」 留三郎、と呼ばれた方が、徐に私の頬に触れました。かたくて、大きくて、それでいてとてもあたたかい手でした。 「多分、どこかに行っちゃったと思ってすごい寂しかったんだろうね。だから今も、留三郎がどこかに行かないか不安で寝れないのよ、きっと」 それに続いて女の人も、私の頭に手をやり撫でてくれます。やわらかくて、細くて、とてもあたたかい手です。 まるでその手から何かが伝わってくるように、私はたくさんのやさしい気持ちを感じ取ることが出来ました。この方たちから頂く、そう、それは――無償の優しさと、そして愛情が、まるで手から伝わってくるようでした。 「悪かったな。でも俺はもうどこにも行かないから、安心して寝ていいんだぞ」 うとうとと、眠りにつく寸前にまで来ていた意識は、大好きな声と姿を目にしたあとにゆっくりと沈んでいきました。 私がずっとずっと昔から、たった4年の間ではありましたが、お慕いしていた方――食満留三郎様は、昔から変わらぬその優しい手で私を撫でてくれるのでした。 あなたに焦がれ、恋に焦がれ、幾年もの時間をあなたでいっぱいにしてきました。罰当たりなことをした私でも、その願いが、ようやくこの平成の世にと成就できたことを、めぐり合わせてくださったものたち全てに心から感謝いたします。 留三郎様と恋仲になり仲睦まじくある姿も思い描いたこともありました。でも今、彼の隣には私とは正反対のとても可愛らしい女の方がいらっしゃいます。私はこの方と、留三郎様の間に生まれたお子でございました。 彼の隣にいられなかったことは、これっぽっちも悔しくも、悲しくも、寂しくもありません。なぜなら私は再び彼の姿を目にし、同じ様に彼は私の姿を目にすることが再び叶ったからです。それに終わらず、私はお二人から多大なる優しさと愛を今も、きっとこれから先も受け取っていくことになるでしょう。これ以上の幸せを、一体誰が知っているというのでしょうか。 この世の中で一番の幸せ者になったと、は今ひしひしと感じます。ああでも、世の中で一番幸せなのは、私を産んでくださったこの方々であってほしい。誰よりもあたたかい優しさを、人に与えることの出来るお二人に。 「俺はちゃんといるから。だからおやすみ、」 そう、願わくば、彼の方々の幸せを、室町の世では成し得なかったであろう平和で幸福な未来があらんことを。 |