『地球はあと、四十八時間後に消滅する』
そんな情報が全世界のメディアを通して報道されたが、人々は当然最初は何かの間違いだと思っていた。タチの悪い冗談じゃないか、と誰もがそれを信じることはなかった。しかしどの報道機関もみなが揃って「核ミサイルが誤作動により発射された」と真剣に言うものだから、私たちは少しずつ、その世迷言ともとれる事実を認めざるを得なくなったのだった。
世界中の人々がそれを認めた途端、消滅を前にしてあちこちが荒み始めた。それは日本も同じで、犯罪や暴動がこれまでにないくらい起き、同時にそうしたものがより身近なものだと感じずにはいられなかった。殺人、強盗、逮捕劇、今まではテレビを通してでしか見たことのないものが、すぐ近くで起こっているんだと嫌でも分かってしまった。だから下手に外に出ることすら出来ず、ただじっと家の中でぼんやりと地球が消滅するのを待つだけだと、数時間前まではそう思っていた。


「……きれい」

今私の目の前に見えるのは殺風景な部屋ではなく、何にも邪魔されることなく広がる夜空と、無数に輝く星たちだった。都会で生活をしていると滅多に空を見上げることもなく、星を見ようにもこんなにも綺麗な星空を見るのは、恐らく無理だ。だからこんなにも星空が美しいものだったとは知らず、私はそれに夢中になってただ空を見上げていた。

「凄いだろ? ここ、伊作に教えてもらったんだ」
「そうなんだ。……天体観測、趣味だったっけ?」
「俺じゃねぇよ。お前に……に見せようと思って」

空へと向けていた視線を隣の方へやると、留三郎が少し照れくさそうにしているのが見えた。でもすぐに顔を逸らされ、俯いてしまった。

「……本当は、こんな地球滅亡前にとかじゃなくて、もっと別の……お前の誕生日に、連れてきてやりたかったんだ」

地球滅亡と言われているタイムリミットの四十八時間後、つまり二日後は――私の誕生日だ。
ミサイルなんかが飛んで来なければ、そう、本来であれば、その日に今日と同じように留三郎にメールで呼びだされ、車に乗り連れて行かれるがままにここに着き、きっと今よりも遥かに晴れやかで素直な気持ちでこの夜空の美しさを堪能していたことだろう。
しかし二日後、私たちは消えてしまう。私は、私が産まれたちょうどその日に無に還るのだ。

「でも今はそんなこと言ってる場合じゃねえし……それに、ここにいた方が安全だろ? 住宅街は危険だ」
「……うん。ここがいい」

留三郎の隣が、いい。
それは口にはせず、私はそっと彼に寄り添った。すると留三郎は私の肩に手を回し、私たちは身体を寄せ合いながら空を見上げた。互いが互いを求めているのが自然と分かった。


「ん?」
「月の話、知ってるか?」
「……知らない。教えて?」

暫く星空を眺めていると、留三郎が口を開いた。私は小さく答えてから、彼の言葉に耳を傾ける。

「今こうして見ている月は、実は少し前のものらしい。地球と月の間にはかなりの距離があるから、その光が届くには相当の時間がかかるんだってよ」
「へえ、そうなんだ。じゃああの月は少し前のもので、時差のない本当の月の姿は見れないってこと?」
「ああ」
「留三郎って博識ね」
「知らなかったのか? ……まあ、これも伊作から教えてもらったんだけどな」
「ふふ、やっぱり」

私が笑うと「うっせえ」と茶化しながら、留三郎が頭をくしゃっと軽く撫でた。その大きな手のぬくもりに、とても安心した。

「……ねえ、留三郎」
「ん?」
「地球があと、四十八時間後に消滅するでしょ」
「……本当かどうか、分かったもんじゃねぇけどな」
「あれだけ新聞やテレビでやってるんだもん、本当だよ」

時間が経つにつれて現実味を増していく形の見えないミサイルの恐怖は、私たちを脅かし続けている。でもそれに怯えているうちにも、ミサイルは刻一刻と迫ってきているのだ。
何もせずにはいられない、そんな衝動に駆られた人々が世界中に溢れかえっている。その衝動が犯罪へと向いてしまったことは、仕方なくもあるが同時に、とても悲しい。何よりもそうせずにはいられなくなってしまった今の状況が、とても悲しかった。

「地球は二日後に終わって、私たちはみんな死んじゃうよ」

こんなにも穏やかな時間が流れているのに、二日後にはここには何も残らない。そう言えるのは、報道機関がみんなして映像や解説で必死にそう説明するから。ただそれだけのことで、私は地球の終わりを確信したのだ。
テレビに映るミサイル弾を見て、なんとなくでもはっきりと「ああ、これが落ちるのか」とだけ思ったのだ。

「でも、さ。地球が無くなっても、あの夜空も星も、ずっと変わらずに輝き続けるんだろうね」
「……消えるのは、俺たちだけだもんな」
「そう。私たち、だけが……」

終わってしまう。
“終わる”その言葉が頭に浮かんだ瞬間、私はぞっとし思わず留三郎に横から思い切り抱きついた。突然のことにも関わらず、留三郎は横から抱きつく私を少し身体をずらしてから、包み込むようにして抱きしめてくれた。
いつもみたいに優しくではなく、私よりもずっとずっと、ここに私がいることを確かめるかのように強く、抱きしめていた。

「……っ、怖い……怖いよおっ……!」

ここに連れられるまであの部屋にずっと一人閉じこもり、ただぼんやりと地球が終わることを待ち続けていた、あの時とは全然違う。今までにないくらい私は今、自分たちの終わりと死、そしてそれに伴う巨大な恐怖を痛いくらいに感じていた。
変わらず輝き続ける星と夜空、そして留三郎のぬくもりを知ってしまったから。

「嫌、嫌、嫌……まだ私たち、生きられるのに……っ!」
「ああ」
「こんなに元気なのに、なのに……死ななきゃ、いけないの……っ?」

ついには涙が溢れ、まるで子供のように泣きじゃくりながらぶつけようのないこの理不尽さを、唯一隣にいてくれている留三郎へと訴えた。こんなことをしても仕方がないと分かっていても、今はこうして縋りつくようなことをするしかなかった。人々が何かしなくては、という衝動に駆られるそれと同じようにして。

「……俺だって怖い。だって俺たち、生きてんだぜ? 病気でもなんでもない、普通の大学生だ。なのにほんと、理不尽だよな」
「留三郎……っ」
「はは、かっこわりぃな、俺。……お前一人、守ってやることすら出来ないなんて」

背中に回されている彼の腕は力におされて今までは分からなかったけれど、少しだけ震えていた。私だけじゃない、留三郎だって怖かったんだ。私よりも、それもずっと前から。
私も彼の背に回す手に力をこめ、お互いがお互いの恐怖をぬくもりで打ち消そうとするように、強く強く抱きしめ合った。とくんとくん、と服ごしでも聞こえてくる彼の心の音に、また少しだけ安心した。一人じゃないという確かなぬくもりが、彼が、ここにいる。私たちは、ここにいる。

「守らなくたっていい。私は留三郎と……ずっと一緒にいれれば、それでいい」
「……俺たち、死ぬまでずっと一緒だ」
「……うん」

自分たち以外人の姿はまるでない広大な自然と夜空が広がる下で、私たちは世界の終わりを待つんだ。でも私たちの、二人の世界は決して終わることなどない。
世界は終わっても、私たちはずっと一緒に終わることなく共にいたい。月や太陽や星たちのようにずっと変わらないこのぬくもりを、最後まで持っていきたい。そう願いながら私は、留三郎の胸に顔を埋めた。
夜空には、眩いばかりに輝く星が流れていった。