柳に牡丹、椰子と八重菊そして銀冠。次々と打ちあがる色とりどりの花火に、私は夢中で夜空を見ていた。上がる度に湧き上がる歓声、そして遅れて響く轟音が耳をも震わせる。 夜空に咲き乱れる花火に圧巻されながらも、一つずつそれらを必死に記憶に焼き付けた。そして最後の一発だとアナウンスが告げた後上がった花火は、今日一番の大きさと美しさだったと思った。ドオン、と音が響き渡れば、次に響いたのは鳴りやまぬ拍手の嵐。こうして、河川敷花火大会は終わった。 「凄かったな、花火!」 「ここらで一番の規模だからなー」 「来てよかったねえ」 「おい、三之助ちゃんといるかっ!?」 「大丈夫。掴んでる」 「あ、わたあめうまそ」 花火が終わると、河川敷まで見に来ていた人達が一斉に帰路につくため歩きだす。けれどその人の多さは、先程の花火と同じくらいに圧巻される。 私たちも帰ろうと、はぐれないように(特に左門と三之助)しながら、人の波に乗って歩き出す。人と人との距離が近いから、誰かが立ち止まれば怪我をしかねないような状態だ。余所見をしがちな二人の耳を作兵衛がひっぱりながら歩いているのを、後ろで見ながらその背中に着いて行く。 「数馬はバスか?」 「うん、そうだよー。藤内と孫兵は電車だっけ」 「左門と三之助もだから、まとめて送っていくよ」 「あはは、気をつけてね。は歩きで帰れるんだっけ?」 「……えっ!? あっ、うん。徒歩徒歩。今日だけはこの辺り住んでて良かったって思うよー」 「あー、そっか。花火帰りの人達でバスも電車もいっぱいになるもんね」 「…………」 人混みの流れにのって、ゆっくりと歩いて行く私たち。川沿いの道をまっすぐに歩くだけだけれど、この人混みでは広い道に出るまでは時間がかかるだろう。解散場所になるバス停や駅周辺なんてもってのほか、それこそ人がごった返していていつ頃着けるのかなんて分かったものじゃない。 なるべく気付かれぬように歩いてはいるものの、それまでの間隠し通せるかどうかは微妙なところだった。 「なあ、今度はみんなで花火やろーぜ!」 作兵衛に掴まれながら、前を歩いていた左門が振り返って言った。一瞬ドキリとしたけど、全く関係のない話に安心した。 「それいいかもー」 「あと少しで夏休み終わるぜ?」 「どーせみんな暇だからいいじゃん」 「また河川敷集合だな」 楽しそうに話しているのをうっすらとだけ聞いて、あとの意識のほとんどは足元にむいていた。出来ることならすぐにでも下駄を脱いで、裸足で歩きたい。でもここで離れたりすれば絶対に怪しまれて、その原因を知られてしまう。 折角楽しく花火の余韻に浸っているんだ、変な気を使わせたくはない。額に滲み出る汗を拭きながら、ハンカチを持つ手に力を込める。大丈夫、痛くない痛くない、歩ける歩ける。 「……なあ、」 「……ん?」 今度は、数馬を挟んでその隣にいた藤内が声をかけてきた。暑さからではない汗が滲む顔を見られたくなくて、少し俯きながら精一杯の声で返した。 「なに……っ、きゃ!?」 「! っ」 「わっ、大丈夫?」 「大丈夫か」 踏み出した足が、何故か止まらずそのまま前へといってしまい、転びそうになった。 突然のことで手が追い付かず、駄目だ、と思いきや両隣にいた数馬と孫兵のお陰で、地面との衝突を免れた。二人を見れば、多分私もだろうけど驚いた表情でこちらの様子を窺っていて、ついにやってしまったという罪悪感が生まれた。 その横を見れば、藤内も思わずなんだろうけど手を出していて、助けてくれようとしたことが分かった。ごめん、と小さく呟きながら手を借りて立ち上がる。さっきまであったはずの、あの感覚が無くなっていたことに心の内で舌打ちする。今日は運も縁起も悪いらしい。 「どうした!?」 「ちょ、ちょっと転びそうになっちゃって……」 「気をつけろよー」 前を歩いていた三人にも当然気付かれてしまい、私は今日運動靴で来なかったことを心底後悔していた。 「、」 「あああごめんっ! 私なんか忘れ物しちゃったみたい!」 「ええっ?」 「だからみんなは先に帰ってて、ね?」 「そんなに大事なものなのか? もう暗いし……」 「家だって近いから大丈夫。ほら、なんか私たち邪魔になってるから、みんなは行ったほうがいいよ」 急な発言に、やっぱりみんなは驚いていた。でも本当に気付かれてしまったら、みんなを足止めすることになる。バスや電車で帰るにしろ、この人の多さでは何時のものに乗れるか分からない。 無理矢理な感じはするけれど、手っ取り早くここで別れるためには仕方ないだろう。 「本当に大丈夫か?」 「作兵衛は心配症だなー。私は方向音痴じゃないから大丈夫だよ」 「いや、そういうことじゃなくてさあ……」 「何かあったらすぐ携帯鳴らすんだよ?」 「うん、ありがと数馬」 ここで立ち止まっていることで、私たちは本当に邪魔になってきた。避けてくれてはいるんだろうけど、時々肩がぶつかったり声も聞こえる。 迷惑になっていると分かり、渋々といった様子でみんなは歩き始めた。まだ私のことを気にしてか、ちらちらとこちらを向いてくるのもいて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 最後まで心配かけてごめんね、本当に大丈夫だよ。そう思いながら、私はみんなに向かって手を振った。 「じゃーなー!」 「またメールすっから」 「気をつけてねー!」 「うん、またね!」 そうして再び人の流れに乗り、暫くすると六人の姿は人混みに紛れていった。振っていた手を下して、私はなるべくぶつからないように流れから抜け出した。 道のすぐ横は坂になっていて、草も茂っているからそのまま座ることが出来そうだ。浴衣が皺にならないように気をつけながら、草の上に腰を下ろした。 下の道を歩く人もちらほらといて、私はその様子を見ながら自分の足にそっと触った。 「……いったあ……」 浴衣を着たのだから、サンダルではなく下駄を履こう。そう思い急きょ購入し、一度も履かずに来た自分が馬鹿すぎて笑える。 下駄はサンダルとは違い靴ずれもなく、疲れにくいものなのだとばかり思っていた。でも実際に履いて、数時間歩いてみてどうだったか。足の親指と人差し指の間、ちょうど鼻緒の当たる部分で靴ずれが起きて血が出ている。 じくじくと痛いそれに気付いたのは、この河川敷に来る途中あたりからだった。それからみんなと合流して、出店を見て、花火を見て、別れるまでずっと痛みに耐えていたことになる。いくら気付かれないためとは言え、我ながら頑固というか意地っ張りというか、こんなになるまで我慢していたことが逆に凄く思えた。 こんなことになるのなら、早めに数馬にでも言って絆創膏でも貰っておけばよかった。きっと数馬なら絆創膏は勿論、もしかしたら消毒液やガーゼまで持っていたかもしれないというのに。 そしてもう一つ、最悪な事態が起きていた。右の下駄の鼻緒が、切れてしまっているのだ。 転びそうになったのもこれが原因で、恐らく切れたために踏ん切りがつかず、そのまま転んでしまいそうになったんだろう。それまで私の足を苦しめていた鼻緒の感覚が無くなったことで、尚更冷や汗が滲んだんだ。 とにかく靴ずれと鼻緒が切れたことのダブルパンチで、私は暫く歩けそうになかった。もし転んだときにこれらが気付かれていたら、まず間違いなく作兵衛と数馬はつきっきりで面倒を見てくれるだろう。面倒見の良さと心配症という点では、この二人に敵うのはあの中にはいない。 二人が残れば、仲の良いみんなのことだから当然のように一緒になって残り、そして帰りが遅くなるのが目に見えている。そこまで付き合わせるのはやっぱり悪いと思い、咄嗟に出た嘘が“忘れ物”だ。もちろんそんなものはない。 (どうしよっかなあ……ま、なんとかなるでしょ) 歩けるには歩けるのだから、右の下駄だけ脱いでゆっくりと歩けば帰れないことはない。この人の波も暫くすれば収まるだろうから、それを機に帰ればいい。 そう気楽に考えて、私は暇つぶしに下の道を歩く人の数を数えることにした。 (いち、に、さん、し、ごーろく……) 下の道は整備されてなく歩き辛いだろうけれど、急いで帰る人や川を眺めながら帰りたい人にはぴったりだろう。親子やカップル、友達同士など様々な人が歩いて行くのを見ながら、カウントを続ける。 (しち、はち、きゅう、じゅー……ん?) ちょうどカップルで十人目、と数えたところだった。人は右に向かって歩いているというのに、ふいに右の方から一人歩いてくるのが見えた。 もしかしたら本当に忘れ物をした人かもしれない、と少し面白がってその人が歩いて行くのを観察した。背格好から見るに男の子で、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた。これは本当に忘れ物かな、と思いながら観察を続けていたけれど、だんだん目が慣れてきて少しだけ男の子の姿がはっきりと見えてきた。 (……あ、れ?) 気のせいかもしれない、というか絶対に気のせいだ。もう暗いし、印象が強いせいなのかもしれない。でも、男の子がなんとなく、本当になんとなく、さっき別れたはずの藤内に見えた、なんて、絶対に気のせい…… 「――っ!」 ……なんかじゃ、なかったらしい。私の方を向いたと思いきや突然名前を叫び、そしてこちらの方へと向かってくるではないか。坂を上ってきて目の前に現れた藤内を見上げれば、肩で息をしながら同じように私のことを見ていた。 視線がぶつかり、少しだけそのままでいると、藤内の方が先に口を開いた。 「やっぱり足、血出てる」 「……あ、これは……」 下げられた視線の先には、靴ずれをおこしている私の両足があった。呆れたような溜息が上から聞こえたかと思えば、「ちょっと見せて」と言いながら藤内がその場にしゃがんだ。 そっと血の滲む私の足に触れると、おもむろに何かを取り出すのが見えた。 「それって……」 「これ? 数馬からもらってきた。救急セットは常に持ち歩いてるからって」 「ああ、やっぱり」 藤内が取り出したのは、絆創膏と消毒液、それにティッシュ。思った通り、数馬は絆創膏から何まで持っていたようだ。 「ちょっと染みるけど、我慢しろよ」 「え、自分でやるよ!」 「いいから」 消毒液を手にするなり、そのまま手当てをしてくれるらしく、私の申し出を抑え込んで足に液を垂らした。 「……っう!」 「我慢我慢」 言われたとおりに染みるのを我慢すると、手際良くティッシュで拭きとられて絆創膏が貼られた。あっという間に終わっていて、どこか気の抜けた「ありがとう」を言うと藤内は私の隣に腰かけた。 「えっと……なんで戻ってきた、の?」 「が靴ずれおこしてるのにそれをずっと我慢してるのが見えたから」 「(……ばれてるし)」 恐る恐る尋ねると、淡々とした口調で答えが返ってきた。言い方からも口調からも、いつもの藤内の雰囲気とは違う冷たさが感じられ、怒っていることが痛いくらいよく分かった。 何か言ったらそれに対してまた怒られそうだったから、私はもう自分から口を開こうと思わずじっと藤内が言うのを待った。 「言っとくけど、あいつらも知ってたからな。が無理して歩いてんの」 「へえぇっ!?」 「だから気使わなくてもよかった……ていうか、俺たちに気使う必要なんて、今さらないだろ?」 「……う、うん」 まさか全員に気付かれていたとは思いもせず、素っ頓狂な声を上げてしまった。 でも次に言われた、気を使う必要なんてないという言葉が、不意打ちにでもとても嬉しく思えた。けれどそれもつかの間、キッと睨まれたことにより反射で背筋が張った。 「転びそうになった時、どんだけ驚いたか……分かるか」 「ご、ごめんなさい。鼻緒が、その……切れちゃって……」 「鼻緒? 下駄の?」 優しい口調から急に睨まれ、しかもさっきよりも口調が怒ってることを露わにしていて、もうこれ以上彼を刺激しないようにと一言一言を選びながら恐る恐る言った。 鼻緒のことも言うと手を出してきたから、私は鼻緒の切れた右の下駄をその上に乗せた。 「……だから転びそうになったのか」 「うん。……ほんとに、ごめんね」 「何が?」 「……その、わざわざ戻って、手当てしてくれて……」 ここまで戻ってくるのに、わざわざ人混みを抜けて下の道に下りて、息を切らしてまで来てくれた。嬉しいのと同時に、早く帰れなくなってしまったことへの申し訳なさで、謝罪の言葉が出てきた。 「ちがうだろ」 「え?」 「そういう時は……ごめんじゃ、なくて」 また怒られる、そう思ったのに返ってきた言葉の様子は、怒りとは違うものだった。 冷静でもなく、怒っているでもなく、少し気恥ずかしそうにしているものだから、なんだか珍しいなあと思った。 あんなに怒っていたのも、それだけ心配してくれたんだと分かれば、今の恥ずかしそうにしている姿がほほえましくも見えた。 彼が言おうとしている次の言葉を待たず、私は目一杯の気持ちを込めて言った。 「……ありがとう、藤内」 「〜っ! あ、あんま気にするなよ! 好きでやったことだし、さ」 最後の方はもごもごと濁してよく聞こえなかったけれど、やっぱりどこまでも優しい藤内の言葉に、とても嬉しくなった。 自分の言ったことが恥ずかしく思えたのか、それともこの雰囲気に耐えきれなくなったのか、勢いよく立ちあがると藤内はまた手を差し出してきた。下駄は右だけだよ?という意を込めて見上げると、違う意味があったらしく更に手を近づけてきた。 「そろそろ行くぞ! あんまり遅くなると、家の人に怒られるだろ」 「あ、うん」 今度はちゃんと藤内の手を取ると、軽々と引き起こしてくれた。手当のお陰で足の痛みはもうほとんどなく、左足は下駄を履いても大丈夫そうだ。問題は右足で、鼻緒の修復は無理だから、やっぱり裸足になるしかないだろう。 「ほら、これ履いて」 「……はい?」 「右の下駄が駄目になったろ。ちょっと大きいけど、我慢しろよ」 右は裸足のままで帰る気満々だったのに、立ちあがった途端藤内は自分の下駄を脱ぎ、揃えて私の足元に置いたのだ。 「えっ、ちょっと、それじゃあ藤内は」 「家に送るまでだったら別に裸足でも平気だろ。ほら、」 そう促されるままに藤内の下駄に足を入れると、それを見て彼は満足してたようで、ゆっくりと歩き出した。片方には脱いだ下駄を持ち、もう片方の手は藤内と繋いだままだ。 少し大きい下駄だけれど、片方が裸足よりもずっとずっといい。それよりも、どうしても気になってしまうのが隣を歩く藤内の足だ。 「……ねえ藤内、足痛くない?」 「ん、全然平気」 私に合わせてゆっくりと歩きながら、先程よりもだいぶ少なくなった人の流れに混ざった。私たちがどれだけゆっくり歩いていても、他の人は横からどんどん追い抜いていけるから気にすることはなかった。 足がまったく痛いわけではないだろうに、でも藤内は口が裂けてもそんなことはきっと言わない。私と同じ、頑固で意地っ張りで、そして優しいから。 「今度花火やる時は、ちゃんと履きなれた靴で来るからね」 左門が言ってた、あの花火の話はきっと実行されるに違いない。みんなも乗り気だったし、何より発案者が左門である場合は実行される確率が断トツで高かった。今日の花火大会も、みんなで行こうと最初に言ったのは彼だった。 その時こそは最後までみんなと楽しみたい、そういう気持ちから出た言葉だ。藤内も賛成するに違いない、と思ったけれど彼の言葉を聞いて、私の予想は大きく外れたことを知る。 「……別に、また下駄で来ればいいだろ」 「だって、また靴ずれおこしちゃうかもよ?」 「そしたら! ……数馬が手当てして、また俺が下駄貸して……こうして送っていくよ」 大きく外れた、嬉しい言葉。繋がれた手に力が込められるのを感じ、思わず頬が緩んだ。照れているんだろうけど、今度はしっかりと聞こえた言葉を耳に焼き付け、私もはっきりと伝わるように言った。 「また、手繋いで帰ろうね!」 「……おう」 夜空に浮かぶ幾数もの花火と轟音は、うだるような夏の暑さと共に記憶へと刻まれた。そしてもう一つ、藤内の手の持つじんわりとした熱さも、花火と一緒に夏の記憶を彩った。 ああ、熱い夏だ。 |