「あ、雨だ」 誰かがそう呟くと、それに気づいて何人かが窓の方へと目をやった。言葉どおり、しとしとと雨が降っていた。 午前、午後と太陽が見えていたのだが、ここにきて急に雨雲が顔を出してきたようだ。通り雨というわけでもなさそうである。 教室はざわめきで包まれる。「傘ねえよー」「あんなに天気良かったのに」「ついてないな」などという声があちらこちらから聞こえてくる。 「(俺様の予想的中、やーっと降ってきたな)」 そんな中で佐助は一人、嬉々としながら雨雲を見ていた。 空を見れば大体の天気模様が分かるという特技を持つ彼は、今日のこの突然の雨も予想出来ていたようだ。 掃除中の教室では、どうやって帰るかという話で持ちきりになる。傘を差さずに帰るには、少し無理がある雨量だ。 佐助以外の誰もが困り果てた顔をしていたと、思いきや。 「……あれ? ってばなんでそんな嬉しそうなの。いつもなら雨だ雨だって血相変えて騒ぐのに」 「ちょっと佐助、私そんなに騒いだ覚えはないんだけど。それに今日は、とっておきの秘密兵器を持ってきてるのよ」 「へえ、それは興味深いんですけれども?」 「ふふん。じゃーん、折り畳み傘ー」 自慢げに話すも、窓の外を嬉々として眺めている人物の一人だった。 窓際の席のは近くにあった自分の鞄から青色の折り畳み傘を取り出し、自慢げにそれを佐助に見せた。 「通り雨に出遭いずぶ濡れで帰ること早数回。苦しかった経験を生かして持ってきたってわけ」 「へえ、そりゃあよかったな。だから雨だってのにそんな嬉しそうなわけだ」 「その通り! まさか今日降るとは思わなかったけど、これでこの傘も報われたって感じがしない?」 余程嬉しいのか、傘を持ちながらも満面の笑みを浮かべるは、困り果てる生徒がほとんどを占める教室内ではひときわ輝いていた。 「じゃあその報われたさんにお願いがあるんだけど」 「え、何?」 「俺様は生憎、折り畳み傘なんて持ってなくてさ。濡れて帰るのも癪なんだよねー。だから傘、入れてくんない?」 「佐助が? 傘持ってないなんて意外だね。天気当てるの得意だったのに」 学校で共にする時間が多いからか、佐助の特技を知っているにとってはそれは意外なものだった。 天気が読めれば、この雨も予測して傘を持ってくるだろうにと。だが素直に頼られたことが嬉しいからか、それ以上問うことはなかった。 「いいよ」とが快諾すると、丁度担任が教室へと入ってきて会話は中断する。 実を言うと佐助は雨が降ることを知っていたが、わざと傘を持ってこなかったのだ。 何故あえて傘を持ってこなかったのか。全てを見こしていた佐助には、ある理由があった。 「そういえばさ、これって相合傘だよね。私初めて」 「じゃあの初体験?」 「……佐助、その言い方すっごいエロい」 冷たい視線を向けられ、わざとらしく「じょーだんだって、じょーだん」と笑う佐助に、未だに信用ならんとばかりに軽蔑した視線をやる。 “ある理由”、それはとの相合傘に他ならない。密着しながら歩き、かつ一緒に帰ることができるという一石二鳥のこの計画。仲は良いが、と親友以上の関係になれないことに佐助は悩んでいた。それを政宗にこぼした際「2人っきりになって初めて意識し始めんだよ。お前らいつも3人でいるから中々loveに発展しねぇんだよ」と言われ、それもそうかと珍しく他人からのアドバイスを受け入れ実行に移したのだった。 の気持ちが変わらないのは彼女自身の鈍感さも問題だが、他にも問題があった。政宗の言う“3人”のうちの1人――と佐助、そして…… 「! 佐助えええええええ!!」 突然、叫び声と共に勢いよく教室の扉が開かれた。現れたのは真田幸村――3人目の男だ。 幸村はそのまま2人の元へと歩いていき、再び叫びだした。 「そ、某は、傘を……傘を忘れてしまったでござる! 空模様すら読めぬ某は、未熟者であった……!!」 「叱ってくだされ、お館様ああああああ!!」となおも叫び続ける幸村だが、教室にいる者達は「またか」という風にさして彼のことを気にかけてはいない様子。 幸村が雄たけびとも言える叫びを聞くのは日常茶飯事であり、なによりそんな彼よりも自分達がこの雨の中どうやって帰るかということの方がよっぽど大切だからだ。はー、と溜息をつくと佐助は幸村の首根っこを掴んでズルズルと廊下まで引きずり出した。教室から出たところで佐助は小声で話し出した。 顔には笑みを浮かべているが、その実後ろに大量の怒りのオーラを背負っていることが見て取れ、非常に恐ろしい。しかしそれに幸村は全く気づいておらず、突然連れ出されたことにただ驚いているようだ。(より鈍感だよ、旦那……) 「旦那、俺様朝に電話したよね? 今日は雨降るから傘持っていきなよって!」 「う、うむ、そのことなのだが……今朝はどうも寝ぼけていたらしく、電話に出た記憶はあるのだが……傘のことは、記憶にないのだ。すまぬ、佐助」 「……」 しゅんとして言う幸村に、佐助はもう何も言えなかった。 寝ぼけていたということに呆れ、何より落ち込んでいる幸村にこれ以上何かを言うことは出来なかった。 確かに、今思えば電話越しの声は心ここにあらず、というものだったかもしれない。こうなるなら、傘を持ってきて学校でこっそりと渡せば良かったと後悔する。 「そこでか佐助が、傘を持っていないかと……流石にこの雨では、某も傘無しには帰れぬ」 「そりゃ、この大雨だから誰も帰れないと思うけど」 幸村は素直で優しい、だからこそ鈍感なところも注意が出来ないのだ。そこがまた彼の良きところなのだろうけど、これでは結局3人で帰ることになってしまうだろう。千載一遇のこのチャンス、逃すにはおしいものだ。 「雨がやむまで待った方がよいのだろうか……」 「……」 しかし、こんなにも困っている幸村を放って帰れるわけがないのだ。 また溜息――呆れではなく、どこか穏やかな――をつくと、佐助は幸村の頭の上に手をのせた。 「が傘持ってるから、それ差して3人で帰ろ、旦那」 「! それは真か!?」 「うん、本当。ほら、にお願いしてきな」 ぱあっ、と顔を上げると幸村はとても嬉しそうにして教室の中へと入って行く。こんなんだから駄目なのか? と疑問を持ちつつ、佐助も幸村に続き中へと入っていくのだった。 ◇ 「傘ちっちゃいけど、入るかな?」 昇降口に下りてくると、は傘を広げながら佐助と幸村に聞いた。 が持ってきたのは折り畳み傘で、普通の傘よりもサイズが小さめだ。3人で入るのは少々難しいように見える。 「こうすれば入るでしょ」 佐助が言うと、傘を差すの隣に少し身を屈ませて入った。それにつられ、幸村も反対側に入った。 「うむ。これなら問題ない!」 「私が真ん中でいいの? 2人とも濡れちゃわない?」 「何言ってんの。この傘はのだし、俺達はそれに入れてもらってるんだから」 「佐助の言うとおりだ。さあ、雨が強くならぬうちに帰るでござる!」 「わ、わっ! ちょっと、ひっぱんないでよ!」 心配するを半ば強引に連れ出すと、水が跳ねる音とともに笑い声がおきた。 「もー! あーあ、靴下濡れちゃったじゃん」「俺様もズボンの裾が濡れちゃった〜」「某もだ!」「2人は自業自得だよ!」 濡れたことを怒るだが、その声と雰囲気からは怒りは全く感じられない。むしろとても楽しそうだ。 文句を言いつつも、楽しげに浮かべるその笑顔を見て、佐助は心のどこかがあたたかくなるのを感じた。きっとは、この3人でいる時が、とても楽しいのだ。 その笑顔を見て、2人きりになろうと思った自分が少しだけ恥ずかしく思う。――俺はただ、この笑顔が見られるだけで、 「ね、折角3人でいるんだしさ、雨宿りがてらボーリングでも行かない?」 「おお! それは名案でござるな!」 「じゃあ、スコアが一番低かった人がジュース奢りで」 「なにそれ! 私が絶対に不利じゃん!」 「だーから言ってるんでしょ。はい、決定ー」 「意地悪!」 「佐助、某は負けぬぞ!」 そんな話をしながら、皆の足はボーリング場へと向かっていく。 足元に跳ねる雨水ももう気にならぬほど、その足取りは軽快だった。 |