すっかり日も沈みかけている中、窓から差すオレンジ色の光を背に私は生徒会室の前に立っていた。
先輩の言うがまま、すぐに来てしまったが一体どういった用件で来たと言えばいいのか分からず、さっきから立ち往生している始末だ。
「完璧な男」がいると聞いて? 先輩が遊びに来いと言ったから? どちらも理由としては相応しくない。入れてもらえるかも定かではない。様々な理由を見繕うとしたが、一向にいいと思うような理由は見つからなかった。
――私は何をしているんだろうか。こんなところにまで来て。
こうしている時間が一番もったいないではないか、そう思い直すと生徒会室に向けていた足を、階段の方へと行こうと一歩進めようとした。しかしそれはタイミングを見計らったかのようにして開いた生徒会室の扉によって阻まれた。

「そんなところにいつまで立っているつもりだ? 早く入ってくればいいだろう」

扉を開き中から姿を現したのは生徒会長――立花先輩だった。
この人に至っては見たことないとか知らないだとかは校内では通用しない。誰もが一度は入学式や行事で顔を見たことがあり、その度に色濃く印象を残していく。それが立花先輩だ。
まだこの学校に入学してから数か月しか経っていないが、私もこの先輩については良い噂や悪い噂をいくつも耳にしたことがある。それくらい校内では有名、というわけだろう。
だが噂を聞いたことがあるだけで、実際にこうして面と向かって話すのは全くの初めてだ。一応招き入れられたとは言え、どう反応していいか分からずとりあえず小さく返事をしてから、生徒会室へ一歩足を踏み入れた。
入ってみると生徒会室は普通の教室と同じくらいの広さで、周囲には教室よりも多い棚や机が並べられている。そして扉から入って真正面には、普通のよりも大きな机があり「生徒会長」というプレートが置かれている。
招き入れてくれた立花先輩は、私が教室に入るのを見向きもせず自分の机に身体を預け、最後にこちらに振り向いた。夕日の光が先輩に差し込み、反射できらきらと輝いて見える。違和感がないのだから、やはり凄いのだと一人感嘆を漏らす。

「さて、滝夜叉丸……アレと、話したんだってな」
「あれ……とは?」
だ。分かるだろう?」
「……はい。先輩に、ここに“完璧な男”がいると聞いて来ました」
「ほう」

生徒会室に来た理由をあんなに迷ったのに、立花先輩は分かりきっていたかのように私の言う理由に頷いた。馬鹿にされずに良かったとは思うが、言うことを把握されていたかとなるとなんとなく不愉快だ。

「私は、それが立花先輩だと今この教室に入って確信しました。そうでしょう?」
「……まあ、アレが言うのだから、そうなんだろうな」

立花先輩の容姿、成績、運動神経、そしてなんと言っても学校を束ねる生徒会長としてのカリスマ性、すべてにおいてトップクラスなのは私の目から見ても明確だ。
立花先輩は先輩の言うとおり“完璧な男”だ。負け惜しみでもない、こんなに本心から他人を認めたことは私にとって初めてのことだった。すんなりと認められたことに、自分で驚いたり違和感を持たないことが不思議だ。

「ご自分でも思っているんでしょう。完璧だと」
「私が? まさか」
「冗談を」
「本当だ。自分で自分を褒め称えて満足してどうする、それではただのナルシストだ」
「……」

この人なら、私以上に他人から褒められ慕われ、だからこそ自分でも“完璧”だと認めるものだとばかり思っていた。
先輩の言う「ナルシスト」と立花先輩のそれとは、響きの重さに違いがあるのに多少なりとも納得してしまう。先輩のは厭味も含まれていただろうに、立花先輩にはそれが感じられない。

「これは私なりの持論で、まったく正しいというわけではないのだがな」

そう切り出した立花先輩と、そこで初めて視線がかち合った。やや釣り上った大きな瞳に、小さく映る自分の姿が見えた。

「完璧なんて存在しえない。それは単なる個人の自己満足だったり、価値観だったりする。人によって何が完璧なのかは異なるわけだ」
「……でもあなたは、誰から見たって完璧で」
「もしかしたら、そう思う者は多いかもしれない。だがそれは他人からの評価に過ぎない。お前は、それだけで満足してしまうのか?」
「っ、それは」
「他人から褒められることは嬉しいだろう。でも、それで満足しているのではただの慢心だ。そこからいかにまた自分を向上させようとするか……努力の連続だ」

立花先輩の言うとおりだと、思う。
私は人に褒められたり、認められることが最初はとても嬉しくて。しかしそれが繰り返されるうちに当たり前になっていて、おそらくこれが慢心であり、ナルシストなのだ。

「なあ滝夜叉丸、お前はそんなところで満足するような人間じゃないだろう?」

妖しく光る瞳に込められた真意は分からずとも、まるでそれに誘われるようにゆっくりと口を開いた。

「私、は……私は、いつかきっとあなたが認めるような、完璧な男だと思わせるような男になります」
「フン、少しは楽しみにしているぞ」

今のままでも充分完璧だと思い込んでいた、しかし身近な世界には案外に様々な人間がいることを今日一日だけでこれだけ知ることが出来た。それは大きな収穫になるに違いない。

「それで滝夜叉丸、お前、生徒会に入る気はないか?」
「は? 生徒会にですか」
「実は人手が足りなくてな。お前のような優秀な人間がいてくれれば、私の仕事もすこぶる捗るのだが」

立花先輩に優秀と言われると、あんな話の後であるから少し気恥ずかしさが残った。でも前々から生徒会には少し興味があり、それに目標ともなる立花先輩の近くにいられるというのであれば、私にとって損な話ではない。
それにきっと先輩も生徒会役員なのだろうから、あの言葉を撤回する機会がこれから先持てるかもしれない。

「私でよければ、お力添えします」
「ああ。よろしく頼む。改めて、生徒会長の立花仙蔵だ」
「平滝夜叉丸です。よろしくお願いします」

夕陽の落ちた少し暗がりの中でのものだったが、私と先輩は改めて自己紹介し合った。同時に正式な生徒会入りを示してるとも受け取れた。

「そういえば立花先輩、私の名前をご存知でしたね」
「ああ。お前の噂はかねがね聞いているからな。それにからもよく聞いていた」
……先輩ですか」
「そうだ。から滝夜叉丸のことを聞いて――それからだ、お前を生徒会に入れようとに強く薦められたのも。ずいぶんと優秀で、伸びシロがある人物だとな」

ここでまた先輩の名前が出てくるとは思わず、オウム返しでその名前を言うと立花先輩はつらつらと経緯を説明してくれた。

「慢心はしているナルシストだが、努力を怠らない“努力の天才”と言っていたぞ」
「! 先輩が、ですか」
「あれでいて、実は人を見る目に秀でているからな。だから私も、アレを傍に置いている」

本当にそれを、努力の天才だなんて先輩が言っていたのなら。いや、立花先輩が言うのだから確かなことなんだろう。

(努力していることを、人に認められたのは初めてだ――)

誰にもそれを見せたことなどないのに、努力自体を知ってもらい、認めてもらったのは実のところ初めてだ。だからなのだろうか、こんなにも気が高揚し、少しだけ泣きそうになっているのは。
直接本人から聞いたわけではない。でも今立花先輩から聞いたことで、私の中での先輩に対しての意識は変わった。

「今日はもう帰るといい。明日からは生徒会の役員として、仕事をしてもらうからそのつもりでいるように」
「は、はい。分かりました」

立花先輩の声に放心していた気を戻し姿勢をただすと、促されるままに生徒会室から出る。失礼しました、と一声かけてから扉を閉めると、廊下の伸びている方へと振り返った。
そこには待ち構えていたといわんばかりに、腕を組みながら壁に身体を預けている先輩がいた。

「おめでとう、生徒会に入ったのね」
「おかげ様ですよ」
「ようこそ、生徒会へ。改めて、です。よろしくね、滝」
「こちらこそ、よろしくお願いします。……先輩」

つい先刻、あんなに不愉快な印象しか抱かなかった先輩に、今はこうして笑顔を向けることが出来る。これもひとえに立花先輩のおかげでもあり、また先輩のおかげでもあるだろう。

「私は、滝みたいな努力の天才を歓迎するよ」

面と向かって目にした先輩の笑顔は、私の心を揺らすのに十分すぎるくらいの力を持っていた。ああ、また泣きそうだ。

「……これからも努力して、いつか立花先輩を超えてみせますよ」
「あー、それは無理かなあ。立花先輩、完璧を超えた完璧男だから」
「そ、そんなことは! きっと超えて、あの人にも認めさせてやりますよ!」
「ふうん。ま、ちょっとだけ期待しとくー」
「もちろん先輩にも認めさせてやります。覚悟していてくださいね」

「――やれるもんならやってみな」

暗がりの中でもはっきりと浮かび上がるその姿と、凛として響く声。もしかしたら本当に完璧なのは私でも、立花先輩でもなく、この人なのかもしれない――……
「あー滝のせいでお腹空いたーなんか奢ってー」とすぐにそっぽを向きながら後輩にたかる声に気は抜けたものの、それは私の中で少しずつ確信めいたものになっていくのだった。


そしてその翌日、先輩が生徒会役員ではなかったことが判明し、その日から――否、先輩と出会った時から、先輩に振り回される日常が始まったのかもしれない。
でもそれは満更でもなく、実は嬉しい日常でもあるが……今はまだ、楽しいということだけを伝えようと思う。

(完璧な男と認めてもらえたら、その時は本当の気持ちを聞いてください)