失恋した、と頭の中では理解していても身体はとても正直で、今も私はあの人の姿を自然と目で追ってしまう。今だってほら、こんな掃除の時間にだって、ベランダでとても仲睦まじそうに彼女と話してるアイツを見てる。いや、見たくて見たんじゃない。ただ目に入ってしまった、それだけ。
見なけりゃいい、って言われそうなんだけど、これからベランダで掃き掃除をする私にとってそれは酷なことだ。別に邪魔ってわけじゃない、でも近くに行くのはなるべくなら避けたい。会話の内容までもが耳に入れば、私は彼のいる教室という空間すら居辛くなってしまうから。(嗚呼、なんて臆病な自分)

「おい、掃除サボってんのかー?」

箒片手にベランダの入り口で躊躇していると、後ろから聞こえてきた声に反応して振り向いた。そこには黒板消しを両手に持った竹谷がいた。

「別に、サボってなんかないけど……」
「そんなにベランダ掃除が嫌なのかよ。俺なんてチョークの粉まみれになる黒板掃除だぞ? 少しは俺を見習って頑張れよなー」
「あっ、」

こちらの気持ちなんて露知らず、元気な竹谷は黒板消しを両手に持ったまま、あれほど私が躊躇していたベランダへと飛び出した。まあ私以外の人にしてみれば、なんの問題もない場所だけど。
掃除を早く終わらせたいという思いからか、竹谷は二人の姿すら目に入っていないようで手に持った黒板消しを思い切り叩き始めた。そしてあろうことか風下にいる二人の姿にも全く気づく様子はなく、竹谷はなおもパンッパンッと大きな音と大量のチョークの粉を立てている。突然の行動に私は唖然とした。
少ししてから、激しく咳き込みながらアイツが「竹谷ー! ふざけんなお前!」と怒鳴り散らすのを聞いて、やっと我に返った。

「あっ、ワリー! 気づかなかった!」
「大体黒板消しはクリーナーでやるもんだろ!」
「こっちのが早いし綺麗になんだよ。悪かったな、二人とも」

軽く謝ると、竹谷は軽やかな足取りでまた教室の中へと入ってきた。未だに驚きの隠せない私と、なんとなく粉っぽい竹谷と顔が合う。

「掃除サボってたんだしこれでお互い様、だろ!」

ニカッ、と。それはまるで太陽の光のように温かい、明るい笑顔だった。理由は違くても、あの二人を懲らしめてくれたということに違いはない。それがとても、嬉しかった。さっきよりも心が清々しいと感じるのはきっと、黒板消しを持った彼のおかげ。

「……ありがと、竹谷」
「ん? なにがだ?」
「べっつに! ほら早く掃除終わらせようよ、それでアイスでも食べて帰ろ」
「おっ、が奢ってくれんのか?」
「いいけど」
「は、マジ!?」
「その代わりガリガリ君だかんね」
「上等!」

62円のアイス一つで、何がそこまで嬉しいんだろうか。竹谷は誰が見ても、それはもう張り切って黒板掃除をし始めた。これならすぐに帰路につけることだろう。私も箒を持って、もうなんとも思わないアイツを横切ってベランダ掃除を始めた。


(20090802)